【コーチング】人の気持ちがわからない

アルキメデスは、お風呂に入って水面が上昇したのを見て、

「eureka!」と叫んだと言われています。

「わかった!」という意味です。

 

アルキメデスの場合は複雑な形状の物体の体積を測る方法が「わかった」ことについて

「eureka!」と叫んだわけです。

「それわかる!!」←ほんとに?

 

こんにちは、こんばんは!トラストコーチングスクール(TCS)認定コーチでマーケティングコーチの中野です。

今日もよろしくお願いします。

 

先日トラストコーチングスクール(TCS)の仲間とメッセンジャーでやり取りをしていた時のこと。

 

「本当にわかっていて、専門的な発言をしている人もいれば、

実際にはわかっていないのに、雰囲気で専門家っぽいことを言う人もいますよね」

というような話になった。

 

確かに、彼の言おうとしていることは僕もわかる気がする。

僕も実際そのように感じる時もある。

 

ただ、そこで僕が思ったのは、「わかってる」と思っている方は、

本当に「わかってる」のだろうか、ということだったんです。

 

今日はそんなお話。

 

 

 

わかる、という感覚

 

アルキメデスはeureka!(わかった!)と叫んだわけですが、

何かが「わかった」瞬間って誰しも経験したことがあると思います。

 

靴紐の結び方がわかった

割り算のやり方がわかった

スクランブルエッグの作り方がわかった

 

というみたいに。

 

この、わかった、という感覚って、いったいなんなのでしょうか?

 

一つは

「再現性を持つ、正しい方法や正しい論理を導き出し、身に付けることができた」

という感覚ではないでしょうか。

 

僕も、「わかる」という言葉についてこうして記事を書きながら

「わかる」という言葉がわからなくなってきたので、

ちょっと辞書に頼ってみようと思います。

 

わかる、ということはつまり「理解する」ということですよね。

 

そこで理解について調べると

「物事についてわかること」

とでてきました。

 

いやいや、それがなんなのかを知りたい(笑)

 

なので「わかる」で調べ直してみました。

 

すると

「事実・内容・意味がはっきりとらえられるようになる。」

「それを受け入れて扱う能力が身に付いている。」

とのこと。

 

あー、なんとなく「わかる」(笑)

 

わかる、という言葉の定義はこういうことのようです。

 

 

 

「わかりました!」にまつわるトラブル

 

例えば、こんなシーンがあります。

 

上司が部下に

「この書類について、明日までにこういう処理をしてほしい。やり方はこれこれこういう感じだ。『わかったか?』」

 

すると部下が

「はい!わかりました!」

 

なので上司は

「よし頼んだぞ」

 

そして翌日。

 

「できたか?」

「それが実はこういう状態、やり方がわからないんです」

「なんだお前!わかった、といったじゃないか!全然わかってないじゃないか!」

「す、すみません」

 

なーんとなく、ありそうな会話ですよね。

 

この場合、なぜこのようなことが起こったのでしょうか?

 

簡単に言えば「わかってなかった」ということなのですが、

それにもかかわらずなぜ部下は「わかった」と言ったのでしょうか?

 

そもそも部下は、何をわかったのでしょうか?

 

もしかしたらこの場合部下は

「あなたの言っていることはわかった」

という状況だったのかもしれません。

 

もっと言うと

「やり方がわかったかどうかは実際やってみないとわからないけど、ともかくしゃべっている言葉はわかった」

という状態だったのかもしれません。

 

上司も

「わかったか?」

の一言で、

「言葉もやり方も理解してくれている」

と思うのでしょう。

それ以上の確認をしていません。

 

 

どちらが悪い、ということはないと思うのですが、

もしこの上司が部下に円滑に仕事を進めてほしいと思ったら、

どのような伝え方ができるでしょうか?

 

 

一つ考えられる方法があるとしたら、

「わかったか?」という言葉の定義を

上司なりに考えてみる、ということです。

 

実際上司は、何をわかってほしかったのでしょうか?

 

仕事の正しいやり方、終わらせ方、ですよね。

 

そして、上司としても、部下がそれをわかっているかをわかっていれば良いのではないでしょうか?

 

つまり例えば

「この書類について、明日までにこういう処理をしてほしい。やり方はこれこれこういう感じだ。『わかったか?』」

「はい!わかりました!」

「そうか、ではまずこの場でひとりでやってみてくれないか?もしかしたら思わぬところでわかっていないところがあるかもしれないから」

「確かにそうですね。ちょっとやってみます」

 

こんなやり取りがあったらどうでしょう?

 

もしかしたら、もう少しスムーズに仕事を依頼できるかもしれません。

 

 

と、これでは円滑な仕事術みたいなつまらない記事になってしまいます。

 

ここではもう一歩踏み込んで

「それが実はこういう状態、やり方がわからないんです」

といった部下は、上司に何をわかってほしかったのか、

という視点でもう少し話を進めてみましょう。

 

 

 

 

わかってほしい

 

人は相手に何かを伝える時

「わかってほしい」と思って伝えます。

 

そのとき「わかってほしい」が「わかってもらえた」になるには

どんなことが起きる必要があるのでしょうか?

 

「できたか?」

「それが実はこういう状態、やり方がわからないんです」

「なんだお前!わかった、といったじゃないか!全然わかってないじゃないか!」

「す、すみません」

 

このやり取りがあったとき、

もちろん部下にも非はあるかもしれません。

 

ただいずれにせよ、

部下は上司に対して、

「この人は自分のことをわかってくれている」

と思うことはできていそうでしょうか?

 

おそらく、できていないと思います。

 

「え、だってそのときはわかったと思ったんだもん」

「いや、わかったって言ったのはあなたの言っていることがわかっただけで、内容までは」

「しょうがないだろ、できなかったんだから」

 

なんていうふうに、自分のことを正当化してしまっているかもしれません。

 

このとき上司がどんな反応をしてくれたら

部下は「この人は自分のことをわかってくれている」

と思うことができたのでしょうか?

 

 

実際部下の立場になってみないとわからないのですが、

もしかしたら

「部下の心の中にあった予想とのズレが少ない反応」

をしてもらえた時に

「この人はわかってくれてるなー」

なんて感じられるのかもしれません。

 

そう考えると

・同じように思ってほしい

という気持ちが、人間の根底にあるのかもしれません。

 

つまり、共感、ですね。

 

 

 

共感なんて、果たしてできるのだろうか?

 

さて、こうなってくると面白いことになってきます。

共感をするためには、相手の気持ちをわかる必要がありますね。

つまり相手を理解する、ということです。

 

しかし、

相手の気持ちを理解することなんて

どうすればできるのでしょうか?

 

またどうすればそれを確かめることができるのでしょうか?

 

人の心を読むことはできません。

相手の立場に立つ、ということも厳密に言えばできません。

人は根本的には、わかりあうことなんてできないのかもしれません。

 

なぜなら人には人の主観があって、

相手の主観に立つことというのは不可能だからです。

それでいて人はどこまでいっても

自分の主観でしかものを見ることができません。

 

そこでコミュニケーション能力を育てることで生存の確立を上げてきた人間は、

「想像力」という武器を磨いてきました。

 

・多分あの人はこういうことを思ってる

・こんな感じに感じている

・きっとこういう意思がある

・怒ってるっぽい

・たぶんこんな価値観

 

なんていうふうに、自分以外の人の思いや考えを想像する能力に長けています。

 

実際人間の脳のかなりの部分は

「表情や態度から相手の状況を読み取る能力」

に使われているそうです。

 

人間は生存の可能性をあげるために、その能力を磨いてきました。

 

ところがどんなに磨いても結局はその人の主観でしかなく、

相手の主観になることはできません。

つまり「わかった」なんていうことはもしかしたらどの瞬間にも言えないのかもしれません。

 

相手のことや誰かが言っていることに対して

「わかった」と本当にいうことができる瞬間なんて

実際にあるのでしょうか?

 

 

 

コミュニケーションについては完璧にわかりました

 

つまり、今ここでお伝えしている内容は

人と人とのコミュニケーションについてのお話です。

 

コミュニケーションは生き物です。

 

・靴紐の結び方

・割り算のやり方

・スクランブルエッグの作り方

 

こういったある程度の正解があるものであれば

「わかりました」

と言うことは可能かもしれません。

 

でも例えば

「コミュニケーションについては完璧にわかりました」

という人がいたらどうでしょう?

 

「え?ちょっとやばくない?」

ってなりますよね。

 

もっと言えば

・靴紐の結び方

・割り算のやり方

・スクランブルエッグの作り方

これらについても

「完璧に理解しました」

と言う人がいたら、

逆に「それって本当に完璧なの?」

と思いそうです。

 

なぜこんな言い方をしているのかというと、

人は「理解しました」「わかりました」

と言っている時って、無意識にも

「(完璧に)理解しました」「(完璧に)わかりました」

と思っていることがほとんどだからです。

 

「自分は○○について理解している」

そう思った時、

○○についての探求は止まります。

まるでクリアしてしまったゲームのように、です。

 

逆に言えば

ある程度の正解があるとされている物事についてすら

完璧な理解をできることなんて世の中にはないのかもしれません。

 

それが人の気持ちだったらどうでしょう?

コミュニケーションだったらどうでしょう?

 

やはり、誰かの気持ちを「わかった」なんて言える日は

こないのかもしれません。

 

 

 

わからないという前提に立って

 

誰かの気持ちはわからない

なんて言い方をすると

なんだかとってもネガティブなことのように感じます。

 

僕たちは特に子どもの頃から

「人の気持ちを考えなさい」

「相手の気持ちになりなさい」

なんてことを言われ続けています。

 

だけど、やっぱりどう考えても

本当に相手の気持ちを理解するなんていうことは

できないのではないでしょうか?

 

僕自身コーチングの現場で

「あ、その気持ち、わかります」

という言葉はほとんど言いません。

(たまに言っちゃいます、笑)

 

なぜなら

「それがあなたと同じようにわかる」

ということは無責任には言えないからです。

 

あなたと同じようにわかっていることを証明する術もないからです。

 

ただ、これが悪いこと、ネガティブなことだとは思っていません。

 

逆に言えば世の中のコミュニケーションのトラブル、

小さいところでは喧嘩、ご近所トラブル

大きいところでは戦争

こういったことって

「なんで自分と同じようにわからないんだ!!!」

という不安から生じる怒りで始まることが多いのではないでしょうか。

 

「なんで自分と同じようにわからないんだ!!!」

「自分は人の気持ちをわかるし、人は自分の気持ちをわかるものだ」

という前提があって起きる感情だと考えられます。

つまり、期待があり、求めがあります。

 

「わかるはずだ」

と思っているわけです。

 

でも、やっぱりわからないんです。

わからないんだから、

わからない、という前提に立つ。

 

「自分は、やっぱりわかっていないのかもしれない」

という視点に立って、世の中を見てみる。

 

そうすると、不思議と世の中は発見だらけになります。

それはコミュニケーションについてもそれ以外についても。

 

そして

「わからないし、わかりあえない」

「だけど、わかりたいんだ!!!もっともっとわかり続けたいんだ!!!」

という強い気持ちが、

人と人とをもっと強固に結びつけるのではないでしょうか?

 

「あなたのことはもうわかりました」

なんて、興味がないと言っているようなものです。

 

「あなたのことをもっとわかりたいんです」

という「まだわからない」という前提にたった態度が

素敵なコミュニケーションを生むのではないでしょうか?

 

無理にわかることはない。どうせわからないのだから。

全部をわかろうとすることもない。どうせ何一つわからないのだから。

 

それでもわかりたいもの、理解したいもの、

それが

時間をかけてコミュニケーションをしていく価値がある

「愛の可能性」がある存在なのではないでしょうか?

 

 

お、ちょっとかっこよく終わった。

Top