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【コーチング】愛について考える

2018年01月16日

愛とは、何でしょうか?

 

普段からしょっちゅう使う言葉ではなかもしれないけど、

たまに考えたりすることってありませんか?

「愛って、なんだろう?」

って。

 

愛ってなんだろう

 

wikipediaに聞いてみよう

 

  • 親兄弟のいつくしみあう心。ひろく、人間や生物への思いやり。
  • 男女間の愛情。恋愛。
  • 大切にすること。かわいがること。めでること。

これが愛だそうです。

 

また日本では、

日本の古語においては、「かなし」という音に「愛」の文字を当て、「愛(かな)し」とも書き、相手をいとおしい、かわいい、と思う気持ち、守りたい思いを抱くさま、を意味した。

近代に入り、西洋での語義、すなわち英語の「love」やフランス語の「amour」などの語義が導入された。その際に、「1. キリスト教の愛の概念、2.ギリシア的な愛の概念、3. ロマン主義小説の恋愛至上主義での愛の概念」などの異なる概念が同時に流れ込み、現在の多様な用法が作られてきた。

こんな愛という言葉にまつわる変遷があったそうです。

 

いずれにしても、何だかよくわかりません。

愛とは、愛するということは、

いったいどういうことなのでしょうか?

 

 

愛する、ということ

 

愛する、という言葉もありますね。

この言葉って、ちょっとおもしろい感じがしませんか?

 

愛、は名詞です。

愛する、は動詞です。

 

この言葉って「愛」+「する」でできているみたいです。

 

ということは

「愛」を「する」のが、「愛する」ということみたいです。

 

だけど、

そもそも「愛」がなんだかわからないのに、

どうやって「愛」するのでしょう?

 

 

愛されるよりも愛したいってマジ?

 

愛されるよりも愛したいって歌、ありましたよね?

 

でもこの歌ってきっと、

「愛したいんだ」っていうことをわざわざ相手に伝えることで、

結局は「愛されたい」んじゃないかな、とも取れます。

 

そう考えると、

「愛される」とは

「わかってもらえる」とか「受け入れてもらえる」

というふうにも言い換えられそうです。

 

人間という動物は、

社会というつながりによって生存を担保されています。

 

だから、

つながりを感じられない、

つまり「わかってもらえない」とか「受け入れてもらえない」ということから、

強いダメージを受けます。

 

そうならないために、

様々な形で愛されようとするのです。

 

だけど、

そうしている時、僕たちは「愛」の理解から遠ざかっているのかもしれません。

 

 

子どもの方がわかってる?

 

愛し愛されるということにまっすぐな子どもの方が、

愛についてよっぽどよくわかっているのかもしれません。

 

面白いサイトを見つけたので引用します。

 

「愛とは、一緒にでかける誰かに、あなたのポテトをほとんどあげてしまいたくなる、それが愛」(クリッシー・6歳)

 

「あなたを愛している誰かがあなたの名前を呼ぶ時、ちょっと感覚が違ってくるんだ。あなたもその人に名前を呼ばれると、心が “ホッ” と温かくなるはず」(ビリー・4歳)

 

「おばあちゃんは関節炎になって屈(かが)めないから、もう自分で足にマニキュアを塗れないの。だからいつも、おじいちゃんがかわりにマニキュアを塗ってあげるんだけど、実はおじいちゃんも関節炎なんだ。これが愛だと私は思う」(レベッカ・8歳)

 

「愛は、僕のお母さんがお父さんにコーヒーを渡す前に一口飲んで、ちゃんと美味しいコーヒーになってるかどうか確かめること」(ダニー・7歳)

 

「ピアノの発表会の時に、ステージに立ってすごく恐かったの。お客さんの座っている席を見たら、手を振りながら笑っている私のパパがいた。そんなことをしてるのは、パパだけだったよ。私はもう恐くなかった」(シンディー・8歳)

 

どうです?

 

「ああ、確かに愛だ」

そう思いません?

 

大人よりも、子どもたちの方が、

よっぽど愛についてよく知っているのかもしれません。

 

それは一体何故なのでしょうか?

 

 

不安

 

ニール・ドナルド・ウォルシュ、という作家さんが書いた有名な本で

「神との対話」という本があります。

あなたも読んだことがあるかもしれません。

 

読んだことがないとしても、安心してください。

これは宗教書ではありません。

 

この本の伝えている主題は、

「この世界の全ては愛か不安かでできている」

ということです。

 

もっと突き詰めていくと、

全てはなんらかの愛である、と言えるのではないか、と僕は考えています。

 

例えば僕の目の前にティッシュペーパーがあります。

箱にはこう書いてあります。

 

「ひと触れで、ちがいがわかります。肌が喜ぶ、新・潤いティシュー」

 

これも、誰かを喜ばせるために生まれてきた、

愛なのではないでしょうか?

 

「いやいや、売りたいためのセールスメッセージでしょ?」

と、思うかもしれません。

 

だけど、それでもいいじゃないですか。

素敵な使い心地のティッシュを作ってもらい、

それをセールスして届けてもらうこと、

それ自体が愛なのではないでしょうか?

 

そして、

愛か不安かの話に戻るならば、

 

「こんなの愛じゃないよね?」

「これが愛なのかな?」

「これが愛だということを、どうしたら確認できるだろう?」

 

と考えたり思ったりすることから生まれる全ての発想が、

「不安」なのではないか、と思うのです。

 

 

結局愛って?

 

じゃあ、確認しようとしたりしてはいけないのかな、

なんていう気持ちにもなってきますが、

そういうわけじゃないとも思います。

 

時に不安になり、時に確認したりして、

その度に実態が掴めなくなって、また不安になったりするもの。

それも愛なんじゃないでしょうか?

 

そう考えると、

この世の全てが何らかの愛が変化したものだと思うのです。

 

今こうして向かっているデスクもそう。

こうしてタイピングしているパソコンもそう。

エアコンもそう。

 

なんて、モノの話ばかりになってしまっていますが、

それも結局は全ては愛の形だと思うのです。

 

そして子どもはそれを疑わない。

だから、愛されている子どもは愛に対する理解が深い。

 

大人は傷つきたくないから、

それが純粋な愛なのかどうかをすぐに確認したがります。

でも確認なんてできない。

そして不安になる。

愛がわからなくなる。

 

かくいう僕も大人です。

 

きっと、たくさんの愛を経験しに生まれてきたんだろうな、

というくらいの漠然とした期待を持ちながら、

この文章を終わろうと思います。

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