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【コーチング】アイデンティティということ

2018年01月25日

アイデンティティという言葉を聞いたことがありますか?

この言葉は日本語にすると、自己同一性、なんていうふうに言われます。

自己同一性って言われてもよくわからないですよね?

 

わたくし、こういうものです

 

アイデンティティって、もう少し噛み砕くと、

「あなたは何者ですか?」

「あなたってどういう人ですか?」

という質問の答えです。

 

つまり、自分が自分をどう認識しているか。

これが自己同一性=アイデンティティ、ということです。

 

今日はそれをもっともっと細かく見ていこうと思います。

 

 

負けるということ

 

人は、負けるってことがとても嫌いです。

とても嫌いだっていうことは、負けるっていうことにとても関心がある、ということです。

 

なぜ負けることが嫌いなのかといえば、

負けることによって自分のアイデンティティが失われてしまうんじゃないか、

と無意識に感じてしまうからです。

 

だから、例えば人と少し議論になったときに、

その議論の論理的な主張が、

元々の目的から離れて、

相手を言い負かすための議論にいつのまにかすり替わっていた、

なんていうことってありませんか?

 

「なんでこいつにこんなこと言われなきゃいけないんだ」

「こっちは正しいことを言っているのに」

「何を!生意気なやつだ」

 

なんていう感じで。

 

こんな感情が芽生えて相手を打ち負かそう=負けないようにしている時、

議論はもう発展的なものにはなりませんよね。

 

それで相手を論破したら、

その時は気持ちいいかもしれないけど、

あとになって、なんとなく気持ち悪さが残る。

 

そんなこと、ある程度大人になったらみんなわかってるはずなのに、

どうしてそういうことを繰り返してしまうんでしょう?

 

 

 

社会的アイデンティティ

 

人は大人になる中で、

社会とうまくやっていくために、社会的なアイデンティティを身につけていきます。

それは一言で言えば「常識」です。

 

ところが、この常識というのが案外人によって違います。

それは文化という形になって現れることもあります。

 

例えば和食レストランに行って、ご飯に箸が立ってたら、

きっとあなたは嫌な思いをすると思います。

それは「常識」ではおかしいからです。

 

ですが、海外から来た人が日本に慣れ親しむ前に、

同じシチュエーションで同じ様子を見たら、

「oh beutiful!」なんていうかもしれません。

その人にとってはその「常識」は無いからです。

 

何が言いたいのかというと、

つまり、社会的アイデンティティを僕たちはあたかも、

「正しいもの」だと思って扱っていますが、

それは個人個人によって結構違う。

 

その、個人個人によって結構違うものを、

僕たちは「常識」なんて呼んでいるわけです。

 

「あいつおかしいよ」

「あの会社おかしいよ」

「関西はおかしいよ」

「あの国おかしいよ」

 

なんて言って、

自分の「常識」と違う人を非難してしまったりもします。

 

それも

「私は私の思う社会に、常識ある人間として溶け込んでいる」

というアイデンティティのなせることなのです。

 

 

アイデンティティを持っているのは人間だけ

 

人間と、その他の動物で決定的に違うことがあります。

 

それは、

「私」は「私」である、という、

「この私」に対する意識です。

 

自然界に行けばたくさんの動物がいますし、

動物はその自然界の一部です。

自然という大きな生き物の中に、

動物という小さな生き物が存在している、

と言ってもいいでしょう。

 

動物は自分は自分である、という認識はしていません。

ただただ自然界の一部として存在しています。

 

でも、ちょっと待ってください。

 

自然界と人間界の境目ってどこなんでしょう?

山の麓?砂浜?

そんなことないですよね。

本当は境目なんてないわけです。

 

ということは、

今僕たちが住んでいるここだって、

十分に自然界です。

 

だけど僕たちは自分が自然界に生きているとは思いませんよね?

つまりこの意識こそが人間界で、

「この私」が存在していると感じることこそが人間界なのです。

 

そして、

「この私」が「この私は一体なんなのか」「この私は一体何者なのか?」

を知ろうとする時、

そしてそれを知りつつも、社会の中で存在を確立し、そして調和しようという時に、

アイデンティティが作られていきます。

 

 

アイデンティティは「違い」を「共有」しようとする

 

アイデンティティをいろんな角度から見ていますが、

アイデンティティは人が社会と調和するために作ってきたものです。

 

なぜ社会と調和する必要があるのかというと、

そうしないと人間は生きていけないからです。

 

毒も牙も爪もない人間が、万物の霊長になっている唯一の理由。

それは、社会を築いてきたことです。

つまり、コミュニケーションを発達させてきたこと、とも言い換えられます。

 

そしてその社会の中で、

「自分は自分である」

ということを主張するために、アイデンティティが作られます。

 

つまり、アイデンティティというのは、

「私とあなたは違う」という「違い」をベースにする認識論から生まれている、

とも言えるわけです。

 

「私はこういう人間なんだ」

 

これは、周りとの違いを説明する言い回しですよね。

 

ところが人はそのアイデンティティをもって社会と調和しようとするわけです。

 

「私はこういう人間だ」という認識を守りたい。

そして

「私はこういう人間だ」という「常識」をもって社会とうまくやっていきたい。

 

これが時にうまくいかなくなって、

人間関係で悩んだりするわけです。

 

そりゃそうです。

だって、みんなも同じことを考えているからです。

 

みんな違うのに、

みんな同じ常識の元にいる、

とどこかで思い込んでしまっているのです。

 

 

人はみんなアイデンティティを守りたい

 

人は

「自分はこういう人間なんだ」

という領域を侵されるのがとても怖い、と無意識に思っています。

 

なぜなら「その自分」で社会に存在してきたからです。

 

「その自分」が侵されてしまったら、

社会の中でどう存在し振る舞っていいのかわからなくなってしまうからです。

 

なんでそういうことが起きるのかというと、

「その認識」=「自分自身」だと思い込んでしまっているからです。

 

あなたも、

 

家族の前で見せる自分

恋人の前で見せる自分

友達の前で見せる自分

電車に乗ってる時に周りに見せている自分

一人の時の自分

会社にいる時の自分

 

全部違う自分を無意識に使い分けていませんか?

 

人間は場面や役割によって、

その自分を使い分けています。

 

ある意味では、それが大人になるっていうことです。

(赤ちゃんはそれができませんよね)

 

そうやっていろんな自分を無意識に使い分けているのに、

それが全部「素の自分自身」だと思い込んでいるんです。

 

それ自体が自分自身だと思い込んでいるから、

それをどうこうされてしまうことは、

自分自身をどうこうされてしまうことと同じか、

それ以上に恐ろしいことだと無意識に感じるのです。

 

だからこそ、

自分が自分をどう思っているのかを、

一度きちんと整理して考えてみることで、

もっともっと自分にとって心地よいかたちで、

社会ともうまくやっていけるようになるわけです。

 

 

あなたが笑顔でいられること。

それが一番の社会貢献です。

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