あなたは、どこからどこまでが、自分だと思いますか?
普通に考えたら、
自分の体が自分だと、そう思うと思います。
では、
抜け落ちた髪の毛はあなたでしょうか?
お風呂で落とした垢はあなたでしょうか?
さっきかんだ鼻水はあなたでしょうか?
僕はこの問いの答えを知りませんが、
よく考えることは、
皮膚が本当に境界線なんだろうか?ということ。
皮膚は、目に見えて境界線になっているし、
感覚を持っているから、自分と自分以外をわける境界線としては、
もっとも認識しやすい部分だと思います。
では、今あなたの目に映っているこの画面。
この画面の感覚はいったいどこにあるのでしょうか?
目の網膜が光としてこの画面を捉えて、
脳が映像化することで、あなたはこの画面を見ています。
つまり脳がもっている感覚です。
あなたはこの画面を自分の脳の感覚で「見えている」と感じています。
今耳に入ってきている音も、
あなたの耳の鼓膜が空気の振動を捉え、
脳が音として認識することで、「聞こえている」と感じています。
つまり、もともとは映像でもなければ音でもないのです。
それをあなたの器官が、映像や音に変換しているのです。
つまり、それそのものはあなたが生み出したあなたの感覚です。
たとえば幻覚症状。
実際にはそこにない(と他人は思っているもの)が、
その人には見えている。
ということは、
そこに見えているものをのものはその人が作り出している、ということになります。
つまり、その人の一部なのかもしれません。
そうやって、自分の感覚の延長線上で捉えていくと、
どこからどこまでが自分という存在なのかわからなくなってきます。
だから、
大事にしたいと思うものを、みんな大事にするといいと思うし、
「自分が一番大事」
という言葉の意味も、ちょっと変わってくるのではないかと思います。