自由は、自己中心的な衝動を抑制し、他者のためになる善き行いである道徳的な行為によって実現される
テーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼ。
もしかすると僕は乗り物に乗ってるのが好きなのかも。特に電車。本を持って電車に乗って、読んだり外を見たり寝たりしてるのって好きだな。今度の週末はそれをやってみようかな。
大切なことは、 「自分の設定したコンセプトがあっているかどうかを確認する」ためのインタビューではなく、 「何が求められていて、それに対してどんなコンセプトを設定する必要があるかの情報を得る」ためのインタビューにすることです。
富山でやるセミナーのお客さんから、「こんなセミナーを希望します」というメール。文末にホームページのアドレスがあったので、見てみたら、まあ当然とはいえ全然知らない住所。僕の全然知らないところに住んでいる人が、僕のセミナーに来てくれる。なんかちょっとうるっときた。
静かに読書。そしてたぶん一晩中仕事。仕事は楽しい。
SNSなんてさ、誰かに笑ってもらってなんぼだと思うの。それもできないで、ビジネス利用とか。あさましいにもほどがある。
まあ、昨日は飲み過ぎたわけで。でも6時からメール対応しっかりやっとります。あと洗濯機も回してる。って、いま気づいたんだけど、洗濯機って、「せんたくき」でも「せんたっき」でも変換できるんだね。どうでもいいtips
実際には10万円稼ぐだけじゃ経済は潤わないし、 月収100万円を稼いでも、人生は潤わないんですよね。
大事なのは、 市場のニーズと、 市場が発しているメッセージを 個人から知ることです。
スピノザの汎神論って、すごくしっくり来るんだよな。世界のすべては神の現れ。
誰かのためと自分のためを同義にできたら、世界はもっと広くなる。誰かのための仕事をするのは、そんな理由もあるのかもしれない。
お金を含め、事物はただそこにあるだけで、良いも悪いもない。ということがそもそも良いことであると感じられる。
なぜならそれが祝福だし愛だし感謝の対象だから。そしてその全てが神の表現だから。 うん、やっぱりスピノザ落ち着くな。汎神論。
憎んでもいいけど捨てる
これはアイディアだけど。空気は必要に応じて供給されている。つまりは祝福として。即時ではあるけど、時差もある。呼吸には僅かだけど時間がかかってるから。それも神のアイディアだとして。つまり必要なものは供給される、ということ。
そして、そこに人間の工夫が入れば入るほど、その即時性が緩やかになる。お金とかは特にそう。でもいずれ手に入る。それがバランスだから。
つまり時差こそあれ、呼吸と経済は同じことなのかもしれない。
そしてもっと突き詰めると、所有は概念でしかない。
ただ祝福がそこにある、ということ。
なんて話をすると、宗教家みたいだけど、僕は無宗派です。ただ、神じゃないと説明がつかないことは色々あるし、科学で考えていくと、結果こういう思考に落ち着いてくる。途中で怪しいだめんどくさいだが入るのは、それこそ科学的じゃない。科学は論証。
そして歴史は繰り返すのだけど、その時にはまずテーゼがあって、それに対するアンチテーゼがある。それだけだとただの振り子になるんだけど、実際には理想に向かって上昇してる。なぜならジンテーゼがあるから。そして踏まえて乗り越える。おー!解決した!
その上昇幅が高かったものは、祝福による実現の即時性が緩やかなのかもしれない。アイディアの伝搬に時間がかかるから。ただしその時間をかけてるのは人間の思考。神には時間や場所の概念はないから。なぜならそれら全てを含めて神だから。
富山のセミナー、どんな内容にしようかな。少し哲学を盛り込もうと思う。マインド的なのが聞きたいって人が多いから。スピノザ?は汎神論だからちょっと違うけど、ヘーゲルが弁証法で人間の認識を導いていったことにラカンの鏡像段階論を組み合わせたら、貢献的な仕事の意義を伝えられるかも。
人に応援される目標をもつ。応援される目標は、社会的意義があるか、感動があるか。そして、美しく純粋度が高いか。不純かどうかは、前向きな気持ちで人に話せるかどうかで判断できる。そして、これのために自分を応援してくださいと要請できる。そして周りの人が喜んで応援してくれる。そんな目標。
お客さんは何がほしいのか。 売り込まなくても売れる方法。
それを実現するものは、 健全なビジネスマインドと 再現性のあるノウハウ
健全なビジネスマインドとは、 人に応援される目標を持っている 貢献的なビジネスモデルである 自分の幸せをいつも確認できて、自分をもっと好きになれる内容になっている
再現性のあるノウハウとは、 インターネットによる自動化モデルのフル活用 カリスマやキャラクターに頼らない セールストークを必要としない 数値的計測が可能
口頭での提案が不要
信念に向かって行動して、きちんと結果を出している人はシンプル。マーケティング的な発言で、あーゆーやり方は違う、こーゆーのは嫌い、みたいなことを言うけど、実際にはその辺のことはほとんどなんとも思ってなかったりする。お客さんを見て、信じたことをするってシンプルな原則だけが残るから。
マーケティング的な発言っていうのは、本音と建前みたいな話ではなくて、相手のための信念、ということ。ビジネスは常に他者貢献だから。コンセプトは、相手のためのコンセプトと、自分のためのコンセプトの二つを持つのがいいのかもしれない。
今日は次回のセミナーについて少しまとめた。次回は富山でセミナー。かなり練られてきた感じ。もしかすると、ヘーゲルやラカンも登場する哲学的なセミナーになるかも。キェルケゴールとかはご遠慮いただきたい。ニーチェもなー。
ヘーゲルは好きだけど、マルクスは少し苦手。
結局のところ祈りも感謝も心もスピリチュアルも、バランスの科学と言える気がしてきた。つまり、呼吸も経済も科学。
なぜ全てを科学と言ったのかというと、今まで科学と呼ばれていたものは、現象に対して人間が言葉で定義してきたものだから。つまり、まだ科学的に解明されてないと言われるものも、結局は科学でできていて、その鍵を握るのは振動、エネルギー、循環、バランスだと思う。
つまり再現性の話にもつながってくる。再現性の話をするなら、環境を揃える必要がある。
おお、なるほど。この世の全ては神か人が想像したもの。その場合、人の中の神もあれば、神の中の人もある。でも、いずれにせよ全ては神の中にある。と考えると、科学的には自然だ。
神は産む。人は使う。人の中の神は人から産む。
集客のこと考えて不安に思えば思うほど、お客さんは離れていくよね。
言葉は潜在意識に支配されてるからね。
精神を濃縮したものが物質で、その低次の形(重い)が物質で、高次の形(軽い)が精神か。面白い考え方かもしれない。本質はエネルギー。そして振動。これが物質にも熱にも光にもなりうると僕は思っている。
高須クリニックの院長、リオオリンピックの時にサッカーのナイジェリア代表に3900万円を寄付したんだね。僕は来年識字教育の導入のために400万円を寄付するでしょ?高須院長の社会貢献レベルに僕もすぐに追いつくぞー!
空気を振動させない声もある、なんていうと、非科学的に聞こえるかもしれないけど、例えば電子メールだって声であり、振動。人間は耳の内部器官を物理的に振動させて音を感知するけど、その物理振動の先では電気信号への変換が起きてる。これは科学的には常識。空気を振動させない声を感じることもある
例えば病的に表現すれば、幻聴だってその一つじゃないかな。
神様っていうのは、精神はあるけどジャッジはないんだな、きっと。
伝わったことが伝えたこと。
健康状態、日常の楽しみ、生活環境、人間関係、お金
ちっちゃい子のこんにちはーって鬼かわいいな
考えが伝播することなんてありえない、なんていうのは、頭蓋骨は防磁性シールドでできている、っていうくらい非科学的な考えなんだよね。
楽しかった後、少し寂しくなるのって、幸せを確認するためなのかもしれないな。
美しいと悲しいは、いつも少し似ている。