【コーチング】過去との対話

自分に何を書いてきましたか?

こんにちは、こんばんは。

貢献型webマーケティングコーチの中野です。

今日もよろしくお願いします。

 

先日TCS(トラストコーチングスクール)の勉強会がありまして

たまたまその席に珍しく

TCSの代表である馬場コーチが来てくれたんです。

 

その結果いつも以上にフィードバックの嵐となりまして

頭の中はモンモンもやもや(笑)

 

僕は自分でも薄々気づいていたことを

しっかりと掘り出してもらうことができて

超感謝です。

 

何を掘り出してもらったのかというと

「僕は過去の僕と戦っている」

ということです。

 

今日はそのことについてお伝えしてみようと思います。

 

 

 

 

目次

僕が攻撃性を発揮する時

 

僕は

お金に下品な人なビジネスをする人を嫌悪する傾向があります。

それから

貢献的でないビジネスをする人は嫌いだし

実績や学歴を振りかざしてビジネスをする人も苦手です。

 

でもよくよく考えてみると

「世の中にただそういう人がいる」

というだけで

それに対して好きとか嫌いとか言っているのは

僕が勝手にしていることなんですよね。

 

っていうと

「え?好き嫌いくらい誰だってあったっていいじゃん」

と思われるかもしれません。

 

それはもちろんその通りなんです。

 

だけど

僕の場合はどうも

「発言や行動がその好き嫌いに左右されている」

しかも

「それが特に自分の望ましい方向に向かっているわけではない」

という状態になっているようで。

 

確かに僕の過去のメルマガなどを読み返すと

僕は好き嫌いの範囲を超えて

攻撃的な言葉を書いていることが多いことがわかります。

 

なぜ僕は

図らずもそういう人たちを攻撃してしまうのでしょうか?

 

 

なぜ僕がお金に下品な人を攻撃してしまうのか

 

僕がそういう人たち

つまり

「自分が稼げればOK」

「月収7桁アピール」

「クライアントの成果は自分の成果」

「お金=成功」

こういったタイプの人たちを嫌悪してしまう理由。

 

それは

「過去の自分が思いっきりそうだったから」

です。

 

しかも僕はその過去を

恥ずかしく思い、嫌悪しています。

 

あんな人間にならなければよかった

って、正直とても思っています。

 

もっと言うと

今でもそう言う頃の僕が心の中にいます。

 

「やっぱ7桁とかアピールするの、楽しそうだな」

「やっぱり自分が思いっきり稼ぎたいな」

「なんだかんだお金を稼いでる人って、成功者に見えるな」

 

などなど。

 

これは今の僕のリアルです。

 

特にfacebookでそういう投稿をしている人などを見ると

正直すっごくムカつくんです。

嫌悪します。

 

でもそれって

自分の中にそういう性質が今でも根深くあるから

正直「気になって気になってしょうがないから」

なんじゃないかなって思ってます。

 

そして僕はそういう過去僕をとっても嫌っているから

そういう投稿を見て憎たらしく思うし

それは今でも心の中にそういう自分がいることを

否定したくてたまらない心の表れなんじゃないかと思います。

 

 

過去の僕に揺さぶられる僕

 

なぜ今僕がこのことに問題を感じているのかと言うと

やっぱり思考や言動や行動が

その人たちや過去の自分に対する感情に

大きく揺さぶられているのを自分で感じるからです。

 

 

僕は

お金に対して上品でありたい。

下品な稼ぎ方や人を羨ましがらせるためのアピールはしたくない。

人に役立って健全にお金を稼ぎ

そのお金を世の中の発展のために使いたい。

 

これは僕の本心です。

 

だけど気をつけないとそれですら

「だから、お前たちとは違う!過去の僕とも違う!」

と主張するための材料になってしまう

ということです。

 

これじゃ本末転倒。

 

僕はいったいなんのために

東南アジアやアフリカに学校や図書室を作っているのか。

 

あの人たちとは違うし僕が生まれ変わったことを証明したくてするのか。

 

そんなことのために

「子どもたちの未来」を利用するのは

僕の理想的な在り方ではない。

 

そう思うと

やっぱり僕の精神性が次のステージに行くためには

今この心を

理想の状態に向かうために気持ちよく

今やることを全力でできる状態にして行くことが必要なんじゃないかと

やっぱりそう思うのです。

 

 

最初にしなければいけないこと

 

僕が最初にしなければいけないこと。

それは

「過去の自分の受容と感謝」

だと思います。

 

僕は過去

自分だけが稼げればいいと思って人を利用したり

利己的にネットワークビジネスに精を出したり

本当にお金に対して「汚い」と思うことを自分でやってきました。

 

そもそも

「お金を稼いでいないと人から認められない」

と思い込んでいたんです。

 

僕は中学校しか出ていません。

ある会社に入ったとき、周りは大卒ばかりでした。

 

だから「こいつらよりも稼いで見返す」

と思って実際そういうことをしてきました。

お金を稼ぐことだけを考えて全力を注いできました。

 

だけどお金を稼いだって誰も認めてくれなかったから

今度はそのお金の使い方で周りを認めさせようとしました。

 

飲みにいけばとにかくおごる。

いくらでもお金はあるような顔をする。

当時の僕なんか、ほんの小金持ちです(笑)

 

でもそうやって周りに誰かをはべらせてないと

不安で不安でしょうがなかったんです。

 

でもそんなことも長くは続かず

そのうちその会社での仕事でも稼げなくなりました。

 

お金を稼げなくなると

ストリートミュージシャンをやってた時の友達に言われたことを思い出します。

 

「お前って、言ってることはおもしろいけど、お金がないから説得力ないよな」

 

この言葉って

今でも僕の胸に深く突き刺さっています。

 

ただ考えてみればそんなことを言ったのはそいつだけだったんですよね。

 

そいつによって深くえぐられた傷を

僕はいつまでも自分でいじくりまわして治らないようにしてたのかもしれません。

 

 

理想すら理想でない場合がある

 

そんなこんながあったあと

僕は働いていた会社が突然消滅して

独立せざるを得なくなったのが確か32歳の時です。

 

ここでまたお金に関するコンプレックスをこじらせました。

当時ヒモ状態だった僕は

また、とにかく稼ぐぞモードに入ったのでした。

 

そこで手を出したのがネットワークビジネスです。

 

ネットワークビジネスが悪いと言っているわけではないのですが

僕はとにかく自分が稼ぐための材料としてしか考えていませんでした。

 

ネットワークビジネスって

人を巻き込んで行くことによって成り立つビジネスですよね。

 

つまり僕は自分が稼ぐための材料として

人を巻き込んでいったのでした。

そんなふうな在り方をしてでもお金を稼がなければ

人から認められないと無意識に思い込んでいたのだと思います。

 

しかし「とにかくお金を稼がなければ認められない」

という考え方はある程度行き着くところまで行き着いたことで

結局「自分はどういう人間になりたいのだろう?このままでそれになれるのだろうか?」

と考えるようになったことから

「人の役に立ってお金を稼げるようになりたい」

「そのお金を人の役に立つかたちで使えるようになりたい」

と思うようになりました。

 

こう書いていて

それ自体は立派な考え方だな、と自分でも思います。

しかし僕にはまだまだ根深い不安があります。

 

「人の役に立ってお金を稼げるようになりたい」

「そのお金を人の役に立つかたちで使えるようになりたい」

こう思っていることは事実です。

それが僕の貢献型マーケティングの考え方の根底にあります。

 

しかしその根底ではさらにこう考えている自分もいるのです。

 

「人の役に立ってお金を稼げるようになりたい」

「そのお金を人の役に立つかたちで使えるようになりたい」

(それが実現できればみんなが僕を認めてくれるはず)

って。

 

認められるために何かをしていると

認められていることを実感しにくいのかもしれないです。

 

なぜなら

「わたしは認められていない」

ということが前提になっているから。

 

でもそもそも

「認められていない」

という事実はどこにあるのでしょうか?

 

僕は

そしてあなたは

「本当に認められていないのでしょうか?」

 

今こうして生かしてもらえている世界なのに。

 

そう。

「認めてもらえていない」

という思い込みの原因の一つは

「感謝がない」

ということがあるのかもしれません。

 

でもこれも難しい問題ですね。

「感謝ができたら認めてもらえていることを感じられるのか」

「認めてもらえるようになったら感謝ができるようになるのか」

この、どちらかが鶏でどちらかが卵のような考え方をしているうちは

そのスパイラルからは抜け出せないのかもしれません。

 

 

そろそろ結論

 

さて、

そろそろこの新橋ガード下の酔っ払いのひとりごとみたいな対話を終わらせなければなりません。

 

つまり僕が今回課題に思ったことはこれです。

 

「そもそもなぜ認められていない、という思い込みを持っているのか」

「それを持ち続けることは、望ましい自分になれることに近づけるのか」

「その思い込みは、自分にとって違和感のある価値観を作ってしまっていないか」

「その違和感のある価値観のせいで余計な良い悪いのジャッジをしてしまっていないか」

「そのジャッジをするせいで、自分のエネルギーを余計なことに使っていないか」

「余計なことにそのエネルギーを使うことで、望ましい自分になることを遅らせていないか」

 

こんなことです。

 

そしてそもそもこのジャッジを持ち続けることで

「過去の自分は悪」

という思い込みを持っています。

それがさまざまなイタズラをしている

ということに気づくことができたわけです。

 

イタズラって悪いことでしょうか?

 

子どものイタズラって

確かに正しくはないかもしれないけど

正しいとか間違ってるの前に

「かわいい」ですよね。

 

僕の過去もこうして思うと「かわいい」し

愛すべきものとも思えてきます。

 

こうして僕の憎んでいた自分の過去を

「かわいい」と思える瞬間は

僕が嫌悪していた人たちの主張までも

「かわいい」と思えるから不思議です。

 

ただ

「かわいい」

と思っているうちはまだまだ意図的なのかな

とも思います。

 

きっとそのうち「なんとも思わない状態」になるのかもしれません。

 

そしてまるっと

それは愛で自由で感謝で

それこそが山あり谷ありの自分の愛する人生なんだと

そんなふうに思えたら

肩の力を抜いて自然に自分の理想に向かっていけるのだと思うし

まさにその状態こそがもうすでに理想の状態なのかもしれない

なんて思います。

 

ムカついても、嫌な奴でも、

結局全ては愛しい僕の人生を形成するストーリーです。

何一つ、欠かさずにはいられなかったはず。

 

やっぱり

自分の理想とする自分は一体どんな自分なのか

と問いを持つことって

たとえずっと答えが出なかったとしても

とっても大事なことなんだな、と思います。

 

 

あなたの理想とするあなたは

いったいどんなあなたですか?

 

あなたのいまのこだわりは

その理想に向かっていますか?

 

それはあなたが心から望むあなたですか?

 

 

ありがとうございました。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

目次