
責任って、重いもの?
こんにちは、こんばんは。
貢献型webマーケティングコーチでTCS認定コーチの中野です。
今日は、自己責任、ということについてお話ししようと思います。
日本では主に福祉などの話で「自己責任論」というお話が出てきます。
自己責任論は冷たい、というような風潮もあり
その話もわかる気がするのですが
そもそも「責任」とはなんなのか、
そして「自己責任」とはなんなのか、
というところから、今日のお話を紐解いていってみたいな、と思います。
あなたは自分の人生に責任を負っていますか?
いきなり大きな質問を投げましたが、
別の言い方をすれば、
あなたは自分の責任で生きていますか?
ということになります。
大人になれば誰でも自分の責任で生きている
とは誰でも考えると思いますが
果たしてそれは本当でしょうか?
あなたは普段生きている中で
何かを社会や国のせいにしたり
家族や会社の同僚や友達のせいにしたり
そんなふうに無意識に「他人のせい」にしていることはありませんか?
なんて聞くと
「なに?あるかもしれないけど、悪いの?」
なんて思うかもしれません。
いいとか悪いとかの話ではないんです。
むしろ、誰かの責任だと思うことは
ちゃんとその人の責任だと思った方がいい。
本当は心のどこかで誰かの責任だと思っているくせに
中途半端に「あ、これは私の責任です」
とか思ったり言ったりしてしまうことの方がタチが悪い。
なぜならば、
その人は心の底から自分の責任だと思っているわけではないから
本当に責任の所在を確認された時に
どこかで理論のねじれや嘘が出てしまうからです。
何かにつけてすぐに謝る人がいますね。
「これはわたしが悪いんです」
「ううん、わたしが悪いの」
「違うの、わたしが悪かったの」
みたいなやりとり。
いい人でいるために一生懸命で
本当は自分の責任じゃなくて
むしろ誰かの責任だと思っていることを
一生懸命自分の責任のように主張する人を見ると
周りの人はなんだか疲れますね。
きっとその人自身も疲れるでしょう。
そしてそんなことを繰り返しているうちに
自分が本当は何を感じているのかも
だんだん感じにくくなってしまうのかもしれません。
だから
誰かの責任だと思ったことは誰かの責任にした方がいいのかもしれないし
それでも自分の責任だと思うことは、自分の責任だと思った方がいいのかもしれない。
何が言いたいのかというと
つまりはそのどちらかを
「自分の責任で選ぶ」
という姿勢が大切、ということです。
そもそも責任って
そもそも責任ってなんなのでしょう?
僕が初めてコーチングに触れたwebコーチングシステムである「ラストスクール」では
責任のことを、「自分で反応を選択する能力」と言っています。
責任という言葉を英語にすると
responsibility
となります。
この言葉は
responseとability
の二つの言葉がくっついてできています。
つまりは、反応を選択する能力、のことです。
ものごとやできごとに対して
自分で自分の反応を選択し、決める能力、ということになります。
だから
「これはあの人の責任」
「これは自分の責任」
という判断を、自分自身ですることも
自分で責任を取っていることになります。
ここで心と裏腹なことをしていると
何でもかんでも自分で責任を取らなきゃ大人じゃないような気がしてしまったり
反対に、もう全てを誰か世の中の責任にしたくなったりしてしまいます。
本当は誰かの責任だと思っているのに、
いい人だと思われたいから自分の責任だということにしてしまったり
本当は自分の責任だと思っているのに、
そう思いたくないから誰かの責任だということにしてしまったりする状態は
心が不安定な状態です。
不安定な心は安定を求めます。
そうすると、極論に走りがちになるのです。
大切なことは
「いずれにせよ、自分で選んだんだ」
という感覚を持っていることです。
全て選んできた
僕たち人間は大人になっていく中で
実は全てを自分で選んできました。
それを無意識にもそうだし、意識的にもそうです。
人は生きている中で、
大量の選択肢の中にいます。
一説によると人間は1日に6万回の判断を繰り返しているそうです。
その6万回を、自分で判断している、ということです。
「いや、そんなことはない。あの時は親のいいなりになるしかなかった」
「会社の判断も自分の判断なんて言われるのはなんだか変だ」
「学校でいじめられていたことも、自分で選んだということ?」
なんて
いろんな極論が出てくるのは承知の上でお話ししていますが
それだって結局全部自分で選んでいます。
どんなシチュエーションだって
選択肢が一個しかなかった、なんてことはありえないはずです。
「あの時はこれを選ばされた」
「あの時はこれしか選択肢がなかった」
というのも
結局は無意識に自分がそのストーリーを選んでいるわけです。
だけど、
望み通りになってなかったり、
嫌な思い出として残っているから
自分で選んだなんてことは認めたくないわけです。
その気持ちは僕にもわかります。
僕にも、
「あんなもん自分で選んだわけがない」
と思うようなことがたくさんあります。
が、
よくよく考えてみると
やっぱりそれだって自分で選んできているわけです。
そしてその無意識にも自分で選んだ判断の繰り返しが
今の僕たちを作っている、ということです。
その中の一つでも、違う判断をしていたら、
今の僕たちではなく違う僕たちになっていた、
ということです。
望む人間になるためには
さて、
あなたは今、自分が望む人間になっているでしょうか?
自分の理想からすると、
今の自分は何点でしょうか?
ここに100点や120点をつけられる人はそうそういないでしょう。
僕だってそうです。
が、
一つ受け入れなければならない事実があります。
なんだと思いますか?
そうです。
それだって自分で選んできている、ということです。
どんなに無意識でも、
どんなにそんな覚えはないとしても、
自分で選んできて今があります。
これは誰しもそうです。
でも
「理想とは違う感じがする」
というのも事実だと思います。
それは
あなたが自分で「意識して」選んでいないからです。
つまり、自分の責任で選んできていないからです。
まず大切なのは、
今の自分は全て自分で選んできたんだ、
ということを受け入れること。
そして、今まで無意識で選んできたこともそうでないことも、
自分の理想に向かって、意識して選ぶということを自分で決めること。
そう考えると人間には、
常に自分の行動を振り返り
自分の理想に向かって思考や判断や発言や行動を
コントロールする能力があります。
それが反応選択能力、つまり責任です。
自分の人生に責任を持つ、というのはつまりそういうことです。
それが自己責任。
国のお世話になることを選ぶのも
自分で選ぶということ。
誰かとのちょっと微妙な関係性を続けることも
自分で選ぶということ。
泣きわめく子供に怒鳴りつけるかどうかも
自分で選ぶということ。
仕方なく選ばせれていることなんて
本当はないんだということに気づき
それでも「これはしょうがないよ」
って言うかどうかを
自分で選ぶと言うこと。
全部選んできたということを認め
これからも全部選んでいくんだということを受け入れること。
せっかく選ぶなら
理想の自分に向かって自分で選ぶ。
ということは
理想の自分も明確にしておいた方が
人生お得かもしれませんね。