【コーチング】生きる目的ってあるの?

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人間って恐ろしい生き物で、

生物的にはまだまだ全然生きていけるような状態でも、

あまりにも辛いとか、あまりにも不名誉だとかいうことで

社会的な死を感じた時に、死んでしまうことがあります。

そう、自殺ですね。

 

これは他の動物にはないことです。

そんな時きっと人は「生きる目的がなくなった」

なんていうふうに思っているのかもしれません。

 

ですが、自殺までいかないまでも

人は誰しも「何のために生きてるんだろう?」

「自分が生きる目的ってなんなんだろう?」

なんていうふうに考えてしまう時って

あるのではないでしょうか?

 

歩んだ道が人生

 

こんにちは、こんばんは。TCS認定コーチの中野です。

今日も宜しくお願いします。

 

僕は今までの人生の中で何度か、

「僕って何で生きてるんだろう?」

って考えたことがあります。

 

あなたもそんなことを考えたことってありませんか?

「一体何のために生きてるんだろう?」

「生きる目的って何だろう?」

などなど。

 

ある程度生きてくれば

きっと誰しもが一度は考えたことがある問いなんじゃないかなーって思います。

 

今日はそんなお話です。

 

 

生きることに目的なんかあるのか?

 

そもそも生きることに目的なんてあるのでしょうか?

 

生きている、というのはどういう状態かというと、

とってもシンプルに言えば、生まれてから死ぬまで、の間のことです。

 

ちなみに僕は「人生とは何ですか?」って聞かれた時に

「人が生まれてから死ぬまでの間のことです」

とか言ってしまう、ある意味ドライな人です(笑)

 

仮にその定義の通り、

人が生まれてから死ぬまでの間のことを人生としましょう。

 

生まれたその時、

あなたは人生の目的を意識していたでしょうか?

 

「オギャー!社会を変えるぞー!」

「オギャー!少子化問題に一つ貢献したぞー!」

「オギャー!世の中の教育にインパクトを与えるぞー!」

 

まあ、そんなことを考えながら生まれたってことはないでしょうね(笑)

 

科学的には、

赤ん坊って何も考えてはいないらしいです。

考えていないというより、思考はしていない、という感じ。

 

この時点で本人が自覚している「生きる目的」なんてものはないわけです。

 

その代わり、

「ひとりになったらやばい!」

「無視されるなんてありえない!」

ということを本能的に理解するわけです。

 

死んじゃいますからね。

 

こうやって人が人としてい生きる性格の礎のようなものが出来上がっていくわけですが、

それは今日の本題とはずれるのでまた別の機会に。

 

 

 

そもそも生きる目的なんてなかった

 

つまり、僕たちが赤ん坊として生まれた時には、

生きる目的なんてなかったわけです。

 

でも、一生懸命生きようとするわけです。

だから、親からはぐれないように必死。

 

 

 

じゃあ、いつから「生きる目的」なんていうことを意識し始めるようになるのでしょうか?

 

もしかしたらそれは、

子どもの頃に、無理やり夢を書かされた時かもしれないし、

小学校で、将来どんな仕事をしたいかを書かされた時かもしれないし、

もちろんそういうことがきっかけとは限らないけれど。

 

つまり未来に対してなんらかの

「やらされ感」「みんなやってる感」

を経験した時なんじゃないかな、と思うのです。

 

みんなが夢を書いてるから自分も書く。

書けない自分は変なんじゃないか。

 

どこかでそんなふうに思うのかもしれません。

 

僕なんかよく覚えているのが、

幼稚園の時、夢を書くたんびに全然思いつかなくて、

適当に書いていた思い出です。

 

ヘリコプターの運転手(高所恐怖症なのに)

野球の選手(バットも触ったことないのに)

バスの運転手(まあ乗り物は好きだけど)

 

といったように。

 

みんな書いてるし、自分も書かないと先生に迷惑をかけるから、

いわばノリで書いてる。

 

しかも書くと褒めてもらえる。

 

そうか、将来に思いを馳せることができるのは

「いい子」なんだ。

 

そんなふうに僕は思っていたように思います。

 

 

生きる目的、ということを考えると

「これから先、こうしてこうなって、こんなふうになっていくこと」

という、考えようもない漠然とした未来のことを考えなきゃいけない、

というような思考になりませんか?

 

これは人によるかな。

 

 

でも、

 

「きっと、みんな何かしらの生きる目的みたいのがあるんだろうな。

あいつは楽しそうだし、生き生きとしているもんな。

自分にはその生きる目的っていうのがないから、

楽しくないのかもしれないな。」

 

なんか、そんなふうに思っちゃったりしませんか?

 

僕は思っちゃったりしていました(笑)

 

 

 

結局のところこうなりたくないだけ

 

僕自身、自分がそういう考えの中にいたとき、

あることに気づいたんです。

 

「あれ?結局これって、幼稚園の時に仲間外れになりたくなかった自分と変わらないや」

って。

 

これから先の生きる目的みたいなものを書くことができないと、

仲間外れになっちゃうんじゃないか、と思ったんです。

 

これってもしかしたら

進路相談の時とかもそうだったのかもしれませんね。

 

もちろん、進路相談とかって大事だと思うんですよ。

 

ただ、そこに「やらされ感」があると、

「これをやらなきゃ『仲間外れ』」

みたいな感覚が生まれてくるんじゃないかと思うんです。

 

つまり、

人は「仲間外れ」になりたくない。

 

「仲間外れ」になると、下手したら死んじゃうんです。

 

自分で食べ物を取りに行く力がなかった時は、

仲間外れにされたら餓死しちゃうし、

 

自分で食べ物を取りに行くことができるようになったとしても、

仲間外れが続いて、もう生きて行くのが辛いなって思ったら、

人間だけは自分で死を選んでしまったりもするわけです。

 

生物的な仲間外れも辛いし

社会的な仲間外れも辛い。

 

そういう不安と背中合わせでいながらも、

やっぱり人は生きていたいんです。

 

死ぬの、怖いですもんね。

僕は怖いです。

 

 

 

生きることに目的があるんじゃない

 

だから人生に目的があるわけじゃないんです。

「なんのために生きているのかわからない」んじゃないんです。

「人生に目的が見出せない」んじゃないんです。

 

まずは

「生きていることが目的」

 

なんです。

 

結局僕たちはなんだかんだいって、

生物的にも社会的にも

「死にたくない」

「生きていたい」

だから

今生きてるんです。

 

そうじゃないでしょうか?

 

つまり

生きることそのものが目的なんです。

 

生きることに目的があるんじゃなくて、

生きることそのものが目的。

 

この人生を続ける、ということが目的、

なわけです。

 

そう考えるとシンプルじゃないですか?

 

 

そして僕たちは、

生物的に生きていたいし、社会的に生きていたい、

ということを考えると、

じゃあどんなふうに生きると、

「生きる」という目的をよりよく果たしていけるのか

なんていうふうに考えることもできるわけです。

 

あんまり難しく考えると辛くなっちゃうかもしれません。

 

とりあえず「生きること」が目的

っていう大前提からブレないようにしてみましょう。

 

そして人間は

社会的に生きていたい。

つまり、人と人とのつながりの中で大切にされながら生きていたい、

と思っているわけです。

 

であるとしたら、人を大切にすることですよね。

大切にする人は大切にされますよね。

周りの人を大切にする。出会う人を大切にする。社会を大切にする。

縁ある人を大切にする。人の役に立ち喜ばれる。

 

これもみんな

「人間らしく生きる」

っていう人生の目的なんじゃないでしょうか?

 

「生きることが目的」って言われても、

一人で生きてたらそれは実感できないかもしれません。

 

誰かが笑ってくれた時に

「あ、生きてるな。それだけで、いいかもな」

なんて、思えるのかもしれませんね。

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