最近は朝5時に起きて、
やりたいことをいろいろやっています。
でも、もう少し時間がほしいかなー、と思ったので、
今日は4時30分に起きてみました。
快適快適。
4時起きでもいけるかもしれない。
早起きが苦手な人は、目覚まし時計を1日1分ずつ早くしていけば
数ヶ月後には結構早く起きれるようになってると思うのだけど、
それってどう思います?

コーチってこういうイメージ?
プロのコーチとして活動する条件の一つによく挙げられるのが
「コーチングを学び続けていること」
これがわかるようでわからないのです。
なんでかと言うと、
コーチングを学び続けるって、一体どういうことなのだろう、
って思うからです。
新たなコーチング資格を取り続ける?
いやー、それは違う気がする。
コーチング関連の本を読む?
それも違う。というか、そんなのは最低限。
コーチングを受けること?
それはそうかもしれない。
でもそれもある意味最低限。
じゃあ、コーチングを学び続けるって、
一体どういうことなんだろう。
それを考えると
「そもそもコーチングってなんなんだろう、ってのを考える必要があるのでは?」
みたいな結論でもないような結論にたどり着いてしまう。
だから、
今日はそのことについて、散文的に書き散らかしてみようと思います。
コーチングとの出会い
そもそも僕がコーチングと出会ったのは、
友達とやっていた会社に勤めていた頃、
経営者交流会に参加したことがきっかけでした。
本当はその友達が参加する予定だったのだけど、
彼はちょっとしたバックレ癖がある人で、
その日も会社ごとバックレてしまたので、
緊急代打として僕が参加することに。
その会で直接コーチングと出会ったわけではなかったのだけど、
紆余曲折あって、結局はその会をきっかけにして
僕はコーチングと出会った。
僕が一番最初に出会ったコーチングは、
オンラインコーチング。
それも、
skypeでお話ししたりするものではなくて、
「ただ見て、ただ読んで、宿題をやるだけ」
というもの。
今思えば
あれはコーチングの定義や原則を満たしているのだろうか?
なんていう浅い疑問がわきつつも、
そのオンラインコーチングを今でも繰り返し受けてみると
やっぱりこれも「コーチング」だなぁ、なんて深々と思う。
そう考えると
コーチングっていうのは、
自分の中にあるんだけど、自分で気づいていないような
そういう部分に気づくきっかけを与えるためにあるようなものなのかもしれない。
そのオンラインコーチングを経て
僕は「よし!プロのコーチになろう!」
と決意し、プロコーチを育成するコーチの門を叩く。
プロコーチに、俺はなる!
そして、月1回くらいそのコーチのところに通うことになった。
が、
あくまでこれは僕の実感だけど
正直
「いつ、コーチングを教えてくれるの?」
みたいな感じ。
いつまでたっても、
コーチングの技術的なことは教えてもらえない。
そう、
僕はずっと教えてもらえるのを待っていたのです。
その時僕は個人事業主で、
コーチングを教わってコーチングのプロになって
それで生計を立てていくぞ!
なんて思っていわけで。
でも、
肝心のそのコーチングを全然教えてもらえない。
教えてもらうというより、
ひたすらにコーチングを受けている感じ。
でも、
不思議なことが起こり始めた。
個人事業で行なっていたいろんな仕事の売り上げが
少しずつ上がり始めた。
目標だった月商100万円も、
目標だった月に達成することができた。
「あ、わかった、コーチングを受けたからそうなったんでしょ?」
と言いたいかもしれないけど、
それに関しては「うーん」
という感じ。
というのも、
その頃について言えば
僕の売り上げを上げることに関してコーチングをしてもらった記憶は、
ない。
ただ、一つ言えることがあるとしたら、
コーチングを受け、自分と向き合っていく中で、
僕の周りに対するコミュニケーションの質は、
知らず識らずのうちに変わっていたのだと思う。
それが結果的に、
売り上げの上昇、という形で芽吹いたのかもしれない。
プロコーチデビュー
それで、
結局コーチングを教えてもらえないまま
僕はある日そのコーチから
「中野さんは、もうコーチとして活動しなよ」
と言われた。
写真を撮ってくるように言われ、
ホームページにも掲載してもらった。
僕は、自分がコーチングができるのかどうかもよくわからないまま
コーチとしてデビューした。
デビューしたと言っても
お客さんを紹介してもらったりするわけでもなく。
だけど、
僕がコーチングを勉強し始めた頃から
僕のことを応援してくれていた仲間たちが
僕のコーチングを受けてくれることになった。
「え、どうやるんだろう」
なんて思いながらも
僕はトレーニング(?)中にコーチから受けたコーチングを思い出し、
できるだけ同じように、でも相手に合わせてやってみた。
また、オンラインコーチングで見聞きした内容を織り交ぜながら、
情報提供などをしてみた。
すると、相手は喜んでくれた。
「自分がこんなふうに考えているなんて、自分で気付けていなかったよ」
みたいなことを言ってもらえた。
なんだかよくわからないけど喜んでもらえたし、
実際その人は成果を上げ始めた。
「あれ?コーチングできてる?」
なんていうのが正直な実感で。
でも、その頃からなんとなく気づき始めた。
コーチングって
「これがコーチングなんです」
って教わるのではなくて
コーチング的なやり取りをしてもらっている中で
「これがコーチングなのかも」
っていうふうに見出していくものなんじゃないか
って。
コーチングは開発された技術ではなく
発見された技術、
なんていう言い方をするけども、
つまりそういうこと。
「これがコーチングなのかも」
っていうふうに、やりとりや経験の中から
見出していくものなのかもしれない。
あくまで
「かも」
ってところがポイント(笑)
そうこうしているうちに、
紹介をいただいたり自分でwebマーケティングしたりで、
クライアントさんはどんどん増え続けた。
が、僕はこんなふうに思うようになった。
「あれ?やっぱりコーチングってなんだかわからないぞ」
コーチングって、なんだかわかりません
そう、僕は毎日のようにコーチングセッションをしているのに
コーチングがなんなのかわからなくなり始めてしまった。
そのことをコーチに相談すると一言。
「そうなんだよねー」
と。
いやいやいやいや(笑)
でも、そういうものらしいのです。
ある日、わかったような気になって、
それでできる気になって、
それでやってると、
ある日わからなくなって、
また考え始めて。
コーチングって、その繰り返しみたいです。
そもそもコーチングってコミュニケーションの技術なわけで、
「コミュニケーションについてわかりました」
なんて平気で言えちゃうのは
そもそもコミュニケーションが危うい人ですよね。
ということは
コーチングがわかったって言ってしまえるのは
もしかしたら「技術」の方に偏り始めたサインなのかもしれなくて。
僕も正直その頃って、
ちょっと調子に乗っていたというか
「もう自分はコーチングができるようになった!」
なんて、思ってたりしたという事実もあり。
やっぱりコーチングって
ずっと学び続けていくものなんだな
って思います。
思いますなんだけど、
あれ、コーチングを学ぶって、何をすることなんだっけ?
それが今日のテーマなのでした。
セクシーじゃないよね
売り上げも順調に上り調子で
いい感じだったある日、
僕はまたコーチとセッションをしました。
そしたら言われた言葉。
「中野さんさ、セクシーじゃないんだよね」
は?
なんですと?
「中野さん、もっとやりたいことやれば?」
は?やってますけど?
でも、確かにそう言われてみると、
やってるけどやってない、
みたいな感覚があるのも事実で。
僕は、自分が好きなことをしてお金を稼いでいたけど、
それってすごく刹那的というか、
未来につながっている感じはあまりなくて。
このまま順調に売り上げを増やしていけば
そのうちやりたいことももっとできるようになって、
もっと楽しい人生になるんじゃない?
くらいの認識しかなくて。
なんというか、
今稼げてるんだから、
この稼げてる波に乗ってもっと稼いで、
そのまま人生逃げ切ろう、
みたいな考え方になっていたのかもしれない。
そして、
コーチはそんな僕の心根を見抜いたのかもしれない。
コーチングで大切なことは
「そこはかとない違和感に気づくこと」
この人はこう言っている。
その言っている内容をきちんと聴く。
100%聴く。
100%聴きながら、
その人の言葉だけでなく、
その人を聴く。
その人の言葉を聴き
その人そのものを聴くと、
時にそこに違和感を覚えることがある。
きっとコーチはそれに気づくのが仕事。
コーチングは目標達成を目的として行われるけど、
つまりは今のままではその目標を達成できないから
コーチングは依頼されるわけで。
なんら違和感や心の中の矛盾点がなければ
そもそもコーチングなんて依頼しなくても
その人は目標を達成していくことができるわけです。
僕の場合は特に
「売り上げにしか目標達成の基準を置いていなかったこと」
が、その違和感の中身だったと、
今になって思います。
そうして僕は
お金だけを追いかけてビジネスをするのをやめて
もっとやりたいことをやろう、
と思うようになりました。
やりたいことをやる
というより、
やりたかったことをやる
という感じ。
やりたいことをやろう。でもそれってなんだっけ?
でも、
僕のやりたいことってなんなのだろう、
とも考えるようになりました。
きっと
やりたいことを考えるのが
その時の僕のやりたいことで、
人は本当にやりたかったら、
もうすでにやっているのだと思うのだけど。
僕は
「そもそもコーチングをしっかりと学ぼうと思ったのは、
『世界の教育と働き方を変えたい』と思ったからだ」
ということを思い出しました。
そして、そこに向かって猪突猛進することにしました。
それまでは、
コーチングを受けたい人にコーチングを提供する
というスタイルでしたが、
それを、起業家、というふうに絞り込みました。
そして、世界の教育にインパクトを与えるために
売り上げの中からかなりの額を
学校や図書館を建てるための寄付に回すことにしました。
実際、かなり大きな額の寄付をしてきました。
僕のビジネスはかなりいい感じに進んでいたと思うし、
寄付も順調。
周りの人も、中野さんってすごいね、って言ってくれる。
うんうん、人生って悪くないかも、
なんて思いながら、
でもなー、なんかなー、
という、よくわからない不安がずっと僕につきまとっていました。
この不安を解消するのはきっと
コーチングではなくて、カウンセリングやセラピーなのでしょう。
ただ、
コーチングというのはきっと
不安とどう向き合うかとか、どう付き合っていくか
ということをしていく必要はあるのだと思います。
実際、
僕はその不安と向き合うようになっていきました。
そのきっかけをくれたのも、
やはりコーチでした。
不安の根っこ
「中野さんってさ、何と戦ってるの?」
「中野さんってさ、周りの人にどういう人だと思われたいの?」
「中野さんってさ、どこにエネルギーを使っているの?」
そんな質問を継続的に浴びせられました。
僕は、
自分が自分の中で誰かと戦っているなんて
全く思ってもみなかったのですが、
でも
確かにそう考えると、僕は何かとの戦いにエネルギーを消耗していたように思います。
では、僕は何と戦っていたのかというと、
それってきっと「正しさ」なのだと思います。
戦っていた対象はいろいろあって、
それは父親だったり、
金に汚い起業コンサルだったり、
学歴コンプレックスだったり、
その他諸々。
でも、
なんでそれらと戦う必要があるのかというと、
それはきっと僕がどこかで気づかないうちに
「極端な正しさ」を持っていたからなんだと
今は思います。
そして僕は今でもその
「極端な正しさ」を持ってはいるけど、
でも、ある程度自分でコントロールできるようになったとも思います。
なぜそれができるようになったのかというと
それはきっと「極端な正しさ」を
自分は持っているんだということを
自覚できたからです。
人は無意識に社会に適応するための性格のようなものを作っていきます。
そして、無意識にそれと反発する自我のような性格も作っていきます。
もしそれがヘーゲルの言うところの
テーゼとアンチテーゼで、アウフヘーベンすることで
僕はコントロールできる性格を手に入れられるのかもしれない
なんていう
頭いい風なことを書きたくなるのは、
僕の「(中卒なのに)頭がいい人だと思われたい」という承認欲求が
暴走する時で、
それこそが認められているべきだと言うのも
僕が持っている「極端な正しさ」
なのかもしれない。
頭いい風に書いてしまったけど、
でも上に書いたことはあながち間違っていないとも思う。
人は無意識に社会に適応するための性格を作る。
そしてそれと反発する自我的な性格も作る。
でも、そのどちらもその
人の真我ではなくて。
真我に気づくには、
反発する自我的な性格と、
その理由としての社会に適応する「いい子」としての性格の
両方に気づく必要があるのだと思います。
「後天的に作られたもの」を
あたかも「先天的」で「どうしようもないもの」だと思い込んでいるところが
未熟な状態で生まれる人間の
悲しい性なのかもしれません。
あれ、なんの話だったっけ。
そう、つまりコーチングの一つの醍醐味は、
その人が気づいていないその人の中の矛盾点を
その人に気づいてもらうことで、
その人が安心して前に進める状態を作っていくこと
にあります。
結局コーチングがなんなのかは、
こうやって書き続けてもなんだかさっぱりわからないのだけど、
でもなんだかわかるような気もして、
それくらいがいいのかなー、
なんて思います。
だって、
わからないからこそ、わかろうとするから。
わからないからこそ、学ぼうとするから。
コーチングを学ぶって、
何を学べばいいのかはよくわからないけど、
「コーチングを学ぶって、何を学ぶことなんだろう?」
という問いを立て続けることこそが
コーチングを学ぶことなのかも、って
最近は思ってます。
朝ごはん食べよーっと。