なぜ生きているのか? ということを冷静に考えると、
生まれてきちゃったし、死ぬのは怖いから。
究極的にはそうなる。
あとのものはきっと、全部後付けなんだけど、
その後付けをまとめると「経験」したいのだと思う。
だから子どもは触りたがるしやりたがる。
本当は大人もそう。
つまり、生きるということは、
大きな意味での暇つぶしとも言える。
大人になると、社会という概念がでてきて、
そうなると、お金という概念を無視できなくなる。
気がつけば、
生きるためにお金を稼いだり、
お金を稼ぐために生きてたりする。
でも、
それだけだと退屈を感じる人も出てくる。
なぜならそれだけだと、
暇つぶしとしては有効手段と言えないから。
死ぬのは怖いから生きてるし、
社会的に生きなきゃいけないからお金も稼ぐ。
でも結局それだけじゃ、
「死んでないから生きてる」っていうのと同じで、
やっぱり暇つぶしとしては有効手段とは言えない。
だから、
正しく生きているはずなのに、
「なんか違うな」
「こんなもんなのかな」
という気持ちが芽生えてくる。
働く大人になったとしても、
やっぱり人はもっと「経験」をしたいのだと思う。
その「経験」のためにこそ、
きっと働き方を変える勇気、稼ぎ方を変える勇気を持つことは、
大事なのだと思う。
究極のところに話を戻すと、
生まれてきちゃったし、
死ぬのは怖いから生きてる。
そして、
働き方を変えたり、
稼ぎ方を変えたりして、
ちょっと収入がゼロになったくらいで人は死なない。
死ぬように生きて何も「経験」しないのと、
痛みを感じながらでも「経験」から生を実感しながら生きるのとでは、
「生まれてきてしまった」ということに対する、
自分で自分に送る「生きる意味」というプレゼントの重さが
全く変わるように思う。
もちろん、どちらを選ぶか、
何を選ぶかは人それぞれの自由。
だけど、
「自分で選べる」という事実がありながら、
現状に甘んじて、不満ばかりを垂れ流すような人間には、
僕はなりたくないな、と思うし、
これからも精一杯暇つぶしを楽しみたい。
だから、色々「経験」したい。