最近「夢中を生きる」をコンセプトにメルマガをお届けしているのですが、
嬉しいことに、感想メッセージがどんどん増えています。
ちょっとだけご紹介しますね。
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学生時代?子供時代?夢中になったこと一つくらいはありますよね。その夢中を応援されるとのこと、素晴らしいと思います。
テレビ番組で夢を叶える、というのがありますが、そのような感じでしょうか?
大人になると夢中になるものがなくなったかな。いつも何かに追われています。。
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こんなメッセージをいただいたり、
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中野さんの誠実な思いが伝わりました。
私の志しは、互いの違いを認め生かし合い
自他共に心豊かで穏やかに、そして自由である社会と地球に貢献する。です!
個々の人生の目的であります志しが大切かと思います。
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こんな共感をいただいたり。
決してわかりやすいテーマではないと思いながら書いているので、
こういったご感想をいただけるのはとても嬉しいです。
では、
なぜ「夢中を生きる」をスローガンに掲げ、「自由と没頭」をテーマに活動しようと思ったのか。
それは、
シンプルに、自由を求めている人、没頭できていない人が多いと感じたからです。
ということは、そういう人たちが自由に、そして何かに没頭することができて、
その結果、自分も周りも喜んでくれることになったら。
それってすごく、いいことなんじゃないか、と思ったんです。
でも実際には。
「夢中になれるものがあって羨ましい」と言われますが
「じゃあ、あなたも何かに夢中になったら?」と言われても、難しいと思うんです。
なぜなら、夢中って、気がつけばそうなっているものだと思うからです。
例えば、
僕は、卓球を夢中でやろうと思って始めたわけではありませんし、
ギターを夢中でやろうと思ったこともありません。
今やろうとしている「自由と没頭」のお仕事も
「よし、これを夢中でやるぞ」なんて思っているわけではありません。
だから、「何かに夢中になる」ということを、
意図的にやるのは困難なことです。
ですが、「夢中を生きる」ということは可能なんじゃないか、
と僕は考えました。
「夢中になる」のと「夢中を生きる」のはどう違うのか。
例えば、これは本当についさっきのことなのですが、
うちの1歳半の息子が、段ボール箱から500mlのペットボトル(水入り)を出して、
床に並べることに夢中になっていました。
何でそんなことをするのかは分かりませんが、
とにかく彼にとってはそれが楽しいようです。
そして、その時彼は夢中でした。
ですが、それは「夢中を生きている」とは言えません。
そういう意味で「夢中である」というのは、
ある意味で一時的なものも指してそう言えるのではないか、
と僕は考えます。
では、「夢中を生きる」というのはどういうことなのか。
言葉で表現するのはとても難しいのですが、
例えば僕が「卓球に夢中になる」のは、これ単体では「夢中を生きる」とは言いません。
それはギターについても同じことが言えます。
「夢中を生きる」というのは、
ライフスタイルを表す言葉である、
と僕は考えます。
つまり僕があなたに「夢中を生きろ」と言ったならば、
それは「夢中を生きる」という「ライフスタイルの提案」なんです。
つまり、生き方、ですね。
「夢中を生きる」というのは、24時間常にずっと夢中である、
というわけではありません。
寝ている間は夢を見ることもあるので、その時は夢中かもしれませんが(笑)
そうではなく、
「人生をより良いものにすべく、一つ、または複数の目標を達成するために、優先順位を上げて没頭する日々を送るライフスタイル」
これが僕の思う「夢中を生きる」ということです。
ちょっと、ややこしい話になってきましたね(苦笑)
詳しくはまた次回お伝えできたらと思います。
よかったら感想を送ってください。なんでもいいです。
質問なんかも大歓迎です。
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