イスラム国の話があって、自己責任論について考えた。
自己責任は、その責任を持つ本人が自己責任と言うから自己責任なのであって、
「あれは自己責任」と他人がいったり政府が言ったりするのは、すでに自己責任ではないんじゃないかなー、なんて考えていました。
そういうことが起きている現実を、それぞれの人たちが自分の責任に於いてどう捉えるか、それが自己責任じゃないかなー、なんて考えていました。
そんな時、家から出ようとしたときに、僕の大事な靴の靴紐が切れました。
それで、自分の親父のことを思い出しました。
僕の実家は、僕が子供の頃からお世辞にも裕福とは言えない家でした。
そして、そういう親、特に親父を恨んだりしたこともありました。
そんな親でも、親孝行したい、なんて思って、今は僕が親の家の家賃とか親の保険料とかの支払いをしています。
だけど、今朝はっきりと気づいたことがありました。
僕は、そのことについて親にあてつけていました。「僕とあなたは違う。だから、あなたがきちんと支払いができないものでも、僕は支払いができる。だから僕が払う」
もちろん、そんなに強烈に明確にそう思っていたわけではないのですが、でも、僕の心の奥底には確かにそういう気持ちがありました。
だけど、今朝自己責任論について考えた時、靴紐が切れた時、はっきりと気づきました。
親父は親父の思う自分の責任において、僕を育てることを放棄しなかった。
世間体とか一般論を抜きにして考えたら、僕を育てるのを放棄することは、可能か不可能かで言ったらいつでも可能だった。
だけど、僕を育てることを親父は放棄しなかった。親父の思う親父の自責に於いて。
僕は僕で、「親は子供を育てるのが当たり前」という浅はかな思い込みのもと、つまり親父は僕を育てるという他責に於いて、十分な食事、住まい、衣服を与えられながら、貧しさや不自由さに文句を言っていました。
そんな子供時代。
だけど、僕がその時に貧しさや不自由さを感じていたということは、親はもっと感じていたはず。
僕が苦労を感じていたということは、親はもっと苦労していたはず。
だいいち、僕は靴紐が切れた靴なんて、はいたことがない。
きちんとはける靴を、いつも与えてもらっていたから。
そして、自分は精神的にも経済的にも自立したと思い込んでいる現在、親の生活にかかるお金を僕が出すことが親孝行だと、僕はそう思っていました。
世間から見たら、親孝行だと思ってもらえるのかもしれません。
だけど、そこには確かに「親父、どうだ。親父にはできないだろ?俺にはできる」という、ライバル心というか、不純というか、そういう気持ちが存在したことに気づきました。
自責に於いて僕を守ってくれた親父、それを他責にして親父を下に見ていた僕。
僕は今日このことに気付けて、本当によかったと、心からそう思いました。
この心のどろどろしたわだかまりの正体が見え始めたことで、今まで以上にもっと親父やお母さんと向き合えると、そう思っています。
もちろんこれからも家賃や保険料を払っていきます。
だけど、その時にはきっと、「親父、お母さん、ありがとう」
そういう、自分で言うと面映いけど、今までよりちょっと純粋な気持ちで感謝を込めて喜びとともに親孝行できるかな、とそんなことを感じた朝でした。