人間って、たぶん世界中に人間が自分一人しかいなかったら、
自分を人間として認識できないと思うんですよ。
自分と同じような姿形や同じ言葉を話したり、
なんとなく自分とおんなじ生き物が他にもたくさんいて、
それが「人間」と呼ばれる存在だから、
自分も自分のことを「人間」として把握できるんだと思うんですよね。
人間は一人では生きていけない、ってよく言いますけど、
これって本当にその通りなんだよなーって思います。
自立、とか、助け合い、とか、そういうのももちろんそうなんですけど、
それより前に、周りに誰かがいないと自分を自分として認識できないし、
つまり自分を人間だと思えないと思うんです。
それってつまり、人間は一人では自分を人間として把握できない、つまり一人では人間で居られない、
ということなんですよね。
「あなたは生きているだけで価値がある」なんて言う言葉があって、
それに対して「自分なんか価値ないよ」とか言う人がいて、
本当に世界にはいろんな人がいるもんだなーって思いますが、
やっぱりどんな人も「生きているだけで価値がある」と思います。
というより、命そのものが価値そのものなんですよね。
「自分が生きていることに価値がある」と自分で思えなくても、
「生きている一人の人間がいる」ということで、
「自分も同じように生きている」と認識させることができる。
それは命が存在しなければできないことであって、
そんな話は本当に小さな小さな部分かもしれないんだけど、
やっぱり命そのものに価値があると思うから、
だからやっぱり全ての命には価値があると思うんですよね。
一人で生きてたって、自分が生きているかどうかすら認識できないと思うし。
「それだけじゃ価値が見出せないよ!」
という人もいると思うんですよね。
じゃあ価値って何かって言ったら、
価値っていうのは与えたり交換できてこそ価値だと思うんですよね。
つまり、それも他者があってこそなんですよね。
例えば、自分の右手に持ったお金を左手に渡して、
価値が増えたりするでしょうか?
絶対しないですよね(笑)
でも、これを人に渡し(買う)たり、
人に何かをしてお金をもらう(売る)ことができると、
途端に価値に変わるんですよね。
つまり、自分には価値がない、って思ってしまう前に、
「誰かの役に立ってみよう」
と考えてみるのはどうでしょうか?
「でも自分には特別なことはなんにもできないし」
と思うかもしれません。
だけどそれだって、
1.他者は特別なことは求めてないかもしれない
2.自分が特別だと思わないことでも、誰かにとっては特別なことだったりする
という二つの可能性がある以上、そこで立ち止まる理由なんて何もないんですよね。
僕は2の方が好みです。
世界中の誰しもが何かしらのスペシャリストだと、僕は信じてます。
つまり、どんな命にもやっぱり価値があるんです。
「生きている価値がない」
この言葉自体が大きな矛盾なんです。
矛盾があることを思うから思い悩むんです。
誰しも、本当は自分の命の価値を知ってるんです。
だから自分を守りたくなるんです。
つまり、全ての命には価値があるんです。