今年はやらせようと思っている言葉の一つが、
「自己啓発をこじらせた」
という言葉です。
自己啓発をこじらせるというのはどういう状態かというと、
「自己啓発をしにいったつもりが、他己啓蒙の状態になっていること」
です。
そして、そういうことをしかける人を僕は「自己啓発系」と呼んでいます。
「自己啓発」とは分けて考えています。
自己啓発って、
「自責において、外部的な刺激によって、自分の中から気づきや方向性を得て、自分で自分を成長させ、自分で自分の目標を設定し、自分で自分の目標を達成させていくこと」
だと僕は思っています。
ところが、多くの自己啓発系の人たちは何をしているかというと、
「自責」において、と言っておきながら、理解と把握をすっ飛ばして、
「とにかくやれ、とにかく行動」と焚き付けて、表面上のアクションを起こさせようとします。
「やればわかるから」と。
理解と行動の間には溝があります。
だから「わかっちゃいるけどできない」
があるんです。
だから、
知って、理解して、把握して、というステップが必要です。
何か新しい仕事やスキルを得ようという時には、
「まずとにかくやってみる」スタンスは大事な場合も多々有ります。
なぜなら、体で覚える必要がある場合が多いからです。
ところが、自己啓発系の人はもっと大きなテーマ、答えがないような、答えが人によって違うようなテーマを扱っています。
それに対して理解や把握はどこから生まれるのかというと、自分の中から生まれます。
つまり、自分を知る中で自分なりの根拠を見出すわけです。自分の中から発見する、と言ってもいいと思います。
自己啓発系は何が問題なのかというと、そこを無視したりすっ飛ばしたりすることです。
強いメッセージ性で理論を並べ立てて、
その裏にある言葉は「いいからやれ(もちろん自責で)」です。
すると何が生まれるかというと盲信が生まれます。
「全部はわからなかったけど、あの人が言ってるから」
「あれだけパワーのある人が言ってるから」
「だからとりあえずやってみよう。お金を払ってみよう」
という盲信です。
これが僕の言う他己啓蒙です。
この瞬間に「他責」に変わってるんですね。
自己啓発系が宗教っぽいと言われるのも多分この辺が原因です。
ところが、他責の状態だとどうなるかというと、結果がでません。
なぜかというと、
他責というのは、自分以外に責任を求めている状態で、
つまり周りが変わらなければ現実は変わらない、という思考だからです。
しかし。周りが自分の望み通りに変わることなんてあり得ません。
「自分はいくらでも変えられるけど、他人は変えられない」のです。
だから教祖様を盲信している信者(他責)の状態では、結果はでません。
自己啓発をこじらせた人は、結果が出ない時どう考えるかというと、
「結果がでないのは自分のせいだ」
と考えるのです。
かわいそうですね。
理解と把握がない他己啓蒙を強いられているのに、
「結果は自責」と念を押されてしまっているのです。
だから、そういう自己啓発をこじらせた人はどうするのかというと、
「他のセミナーを探す」のです。
セミナー難民みたいな人っていますよね。
きっとどこかで答えに出会える、と思っている人。
本当にかわいそうだと思います。
なぜ、かわいそうだと思うのか。
一番の問題点は、
「そのビジネスを仕掛けている人たちが、そうなることをわかっていること」
です。
盲信+自責の押し付けをすると、自己啓発系難民が生まれることがわかっているんです。
そうやって、自己啓発系ビジネスやセミナービジネスというのはできているんです。
「絶対に儲かる」みたいな情報商材を何度も買っちゃう人たちと同じですよね。
だから、僕は「自己啓発をこじらせるな」をテーマに、
まず「自己啓発をこじらせた」という言葉をはやらせようと思います。
本当の自己啓発は好きです。
自責において、確かなロジックで、理解と把握があって、自分で自分を成長させられるもの。
僕は、本当のコーチングの姿がそこにあると考えています。