「神様はその人に乗り越えられない壁は与えない」
みたいな言葉をよく聞きますが、これって本当でしょうか?
その壁にぶち当たった末、その人が結果的に生きていれば、それは乗り越えたってことになるかもしれませんし、
もし死ぬまでその壁に直面した状態が続いていたのであれば、それは乗り越えたことにはならないようにも思いますし。
必ずしも、乗り越えられない壁は与えないわけではないようにも思います。
この場合、壁ってなんなのかって言ったら、
障害とか、問題とか、予想外や想定外の出来事だったりすると思うんですよね。
それで、なぜそれを壁と感じるのかって言ったら、
その先に行きたいと思う場所(結果とか)があるからですよね。
そこに行きたいのに、うまくいけない。だから壁と感じる。
逆に言ったら、そこに行こうと思っていない人にとっては、
壁でもなんでもなかったりするんですよね。
つまり、目標や理想として描く状況があるから、
それを阻むものを壁と感じるわけです。
それで、
「いいや、めんどくさいし」
と思っていれば、結局そこから前に進めなくなるわけで、
死ぬまでその状況だったら、結局その人にはその壁は乗り越えられなかったんだから、
結果的にその人には乗り越えることができなかった壁になります。
だからこそ、
「神様はその人に乗り越えられない壁は与えない」
という前向きな言葉が生まれたんですよね。
ところがこういう言葉って、都合のいいように解釈されます。
「神様はその人に乗り越えられない壁は与えない」
→「だから、そのうち乗り越えられるようになる」
→「だから、このままのありのままの自分でいい」
→一生乗り越えられない
→乗り越えられない壁の完成
なんて出来事が日常茶飯事のように起きています。
僕は
「神様はその人に乗り越えられない壁は与えない」という言葉より、
「今何ができたら、その壁を神様からのプレゼントに変えられるか」
という言葉の方が好きです。
これは、僕のメンターコーチの受け売りなんですけどね(笑)
でも、これを意識するようになってから、
どんな壁も、筋トレマシーンのように思えるようになりました。
自分が強くなるための筋トレマシーンだったら、
大歓迎です。
あんまり、きついのは嫌だけど(笑)