僕はよく、
「自責で捉えましょう」という話をするのですが、
こういう話をすると、それをすぐ自分が苦しくなるような捉え方に変えてしまう方がいるようです。
本来、
自責で捉えるというのは、自分が楽というか、すっきりする考え方です。
それを、
「全部自分が原因だ。全部自分のせいだ。全部自分が悪い。」
と捉えてしまう方が少なくないようなんですね。
(実際、それに近い、宗教的脅迫を持って信者を作る自己啓発系の人たちもいるようです。僕個人的にはそういう人と付き合うのはお勧めしません)
そもそも、責任というのがどういう意味か、ということなんですが、
責任というのは、
「反応を選択する」という意味だと僕は教わり、実際今でもその説明が一番しっくりときているので、そう思っています。
例えば「私はこういうとき、怒っちゃう」みたいな言い方というのは、思わずそうなってしまう、という意味を含んでいます。
その時、反応は選択したのではなく、何かによって自動的に選ばれた、という意味になります。
つまり、僕はそういう言い方を、責任のない言い方、と呼んでいます。
実際、
「だって、そうなっちゃうんだもん」「こういうふうに言われちゃうんですよ」
って言い方って、無責任に感じませんか?
自責というのは、自分が責任を持つ、という意味です。
つまり、
自分のコントロールできる範囲内で、自分の反応を選択する、という意味です。
これは、
原因は自分だとか、
自分のせいだとか、
そういう意味ではないのです。
むしろ、
「こういうとき、自分には何ができるのだろう」
と、自らのコントロールできる範囲内で、自らの反応(行動)を選択できることで、
自律的な生活をすることができるようになり、
他律要因に振り回されない生き方ができる、
そんなベースになる考え方なのです。