目の前で起きている出来事の捉え方を、自分の目標達成のために最適化することは、とても大事なことだと思います。
そもそも、出来事には良いも悪いもなくて、
それをその人なりのフィルターで評価したりして感情を抱いて、
「良かった」「嫌だった」と言っているに過ぎないのです。
だから、自分が目標を達成しようと頑張っている時に、
目の前に現れた障害や壁をどう捉えるかは、
その人次第です。
それを、
「これのせいで目標達成できないや。もういいや」
と捉えるのか、
「ここで踏ん張れば次に同じようなトラブルが起きてももっと早く対処できる。がんばろう」
と捉えるか。
そのあり方だけで、目標達成の速度は必ず変わります。
ところが、物事に良いも悪いもなくて、捉え方次第だというと、
「そんなアホらしいことやってられない」
という反応をする人がいます。
その人に言わせると、
そんなのは意味のないポイジティブシンキングだ、ということだそうです。
僕はそれを否定するつもりは全くありません。
なぜなら、
意味のないポジティブシンイングと、捉え方を変えることは、全く別のことだからです。
確かに、
「すべてのことには意味がある」などの、自己啓発系の人が好きそうなフレーズは、
僕も正直抵抗感があります。
なぜなら、
その言葉に抵抗感があるのではなく、
その言葉の使われ方とか、発してる本人のその言葉に対する捉え方が、
本来の意図と違うように思ってしまうことがあるからです。
抽象的なフレーズというのは便利なんですよね。
「すべてのことには意味がある」という言葉にしても、それもやはり捉え方なんですよね。
そりゃー意味はありますよ。だってなんか起きてるんだから。それが起きたということは起きたという意味があるでしょう。
でも、どういう意味があるか、までは人はなかなか考えません。
そして。それにどういう意味があるかを考える時に、どんなフィルターを通して考えるのか、
が大事だと僕は思います。
別にポジティブになれと言っているのではないのです。
僕はポジティブ教の信者みたいにな人はちょっと苦手です(笑)
例えば、
「エジソンは電球の発明に1万回失敗したのではなく、1万回の電球がつかない方法を発見した」
といったと言いますが、そりゃそう言ったかもしれませんが、
実際に失敗した時に、そんな風に思ってたかって言ったら、たぶんそんな風には捉えてなかったと思います。
「また、つかなかった」「また、だめだった」「くそっ!なんでだ!」「今度こそつくはずだったのに!」
そんな風に思っていたと思います。
そして、エジソンはその時にそれをどう捉えたか、が大事だと思います。
もちろんこれは推測でしかないですが、
「今回はつかなかった。でも前回と、こことここで違うことをした。そしてこの部分はうまくいっているはずだ。だから、次はここを変えてみよう。今度こそ電球がつくかもしれない!」
と、電球がつかなかったことに対して、そんな捉え方をしたんじゃないでしょうか?
腐ることはいつでもできたはずですよね。
そして、それを繰り返していって、最終的に電球がついたことで、
その経験の積み重ねから、
「私は1万通りの電球がつかない方法を発見した」
という発言につながったんじゃないか、と僕は思っています。
そして、大事なのは、
電球がない世の中では、エジソンの電球がつこうがつくまいが、大衆にとっては別にどっちでも良かったはずなのです。
しかし、結果的にそれの恩恵にみんながあやかるようになりました。
あなたが何か失敗した時、あなたに何か予想外の出来事が起きた時、
少し広くて高い視点からその出来事を見下ろしてみてください。
きっと、世の中の大半にとって、その出来事ってどうでもいいはずなのです。
だからこそ、それをどう捉えるかは、あなたの自由なのです。