僕はよく、
「ほとんどのことは捉え方の問題です」
というような言い方をします。
なぜなら、
根本的に出来事そのものに良いも悪いも正しいも間違っているもなくて、
それを受け取った人間が、
自分の価値観や判断基準、過去の経験などに照らし合わせて、
ある意味自分勝手に判断しているからです。
文化の違う国のことを想像してみてもらえれば簡単にわかりますが、
ある国では賞賛されることが、ある国ではタブーなんていうことはよくあるし、
それは国をまたがなくても、例えば隣近所に住んでいる人同士でも、
はたまた夫婦でも起きたりすることです。
つまり、そもそも物事には良いも悪いもないのです。
そして、自分が達成したい目標がある、とか、なんとかしたい問題がある、とか、
自分を変えたい、なんていうことがあるときには、
ほとんどの場合、物事や出来事に対しての捉え方を、
「自分が得たい結果」を得るために最適化してくことで、
現実がどんどん変わっていきます。
なぜなら、
自ら捉え方を変えていく、
ということは、物事や出来事の捉え方を「主体的に変えていく」ことになるからです。
もっと言えば、世の中で起きていることに、自分用の意味づけをしていくことができるようになるからです。
「すべての状況を味方につけてしまうタイプ」の人が世の中にいますが、
誰でもそうなれるということです。
ところがこの話をすると、
「主体的になれるように、私の物事の捉え方を変えてください」
という人がいます。
そもそもその発想が主体的じゃないのです。
捉え方を変えたいなら、変えられると気づいて変えるのです。
そして、それは誰にでもできることです。