にんじん、という野菜がある。
あなたもよくご存知であろうにんじんだ。
これがあまり得意ではない。
といっても、そこまで嫌いというわけでもない。
僕が嫌いな野菜のダントツトップはトマトだ。
生のトマトが一番だめ。
「トマトとモッツァレラチーズのカプレーゼ、トマト抜きで」
という注文をしたことがあるくらいトマトが嫌いだ。
「トマトジュースは?」
とよく聞かれるが、絶対に飲まない。
また、
「ピザは?」
とも聞かれるのだが、これが非常に難しい。
ピザの上にトマトが生の状態で乗っているのはNG。
それが火がしっかりと通っていれば大丈夫。
ピザに塗られているトマトソースは原則大丈夫。
だけど、
時々すごく生のトマトっぽいソースの時があって、
それだとNGに近い。
と、こんなふうに僕はトマトが苦手だが、
特定の状態であれば食べられる。
さて、
「今日はにんじんの話なんじゃないの?」
と思われているかもしれない。
それはその通りである。
そして、
今僕の文章は危うく脱線しかけた。
だが、脱線したことによって、かなりの文字数が稼げた。
にんじんのことなんて、そんなに書くことがないことに、
書き始めて気づいたのだ。
だけど、エッセイというからには1000文字以上は書かねばならない。
いや、書かねばならないなんてことはないのだが、
なんとなく自分にそんな負荷をかけている。
特に意味はない。
さて、
そろそろにんじんの話に入らないといけないだろう。
そういう頃合いだ。
だが、少しだけ待ってほしい。
今ここまで書いて、30秒ほど休んでみた。
つまり、僕も待ったわけだ。
なぜかって、にんじんについて書くことなんて、
やっぱりそんなに浮かんでこないからだ。
だから、休んでみた。
よく、考え事をたくさんして、
その時に答えが出なくても、
休息状態の時に脳が勝手に考えてくれて、
そこで答えを出してくれる、なんていう話がある。
それを狙って少し休んでみたのだ。
30秒ほど。
なにしろここまでこの文章を5分くらいで書いている。
5分は言い過ぎかもしれないが、間違いなく10分は経っていない。
それくらいエッセイというものは一気に書いているのだ。
だから30秒くらい休めば何か出てくるだろうと踏んだわけだ。
だが、そうは問屋が卸さない。
待って。
そうは問屋は卸さない、という時の問屋は、
いったい何問屋なんだろうか。
問屋ってことは、これは卸売だ。
ってことは、英語で言えばホールセールだ。
なるほど、コストコだ。
つまりそうは問屋が卸さない、っていうのは、
「コストコでもそう簡単には買えない」
という意味だったのだ。
これは世紀の大発見だったのではないかと思う。
そして、
コストコは青果売り場も充実しているので、
にんじんも売っているだろう。
人参は好きでも嫌いでもないが、
特定の調理方法が苦手なのだ。
これはトマトと逆パターンだ。
ある調理方法にされると、どうしても食べたくなくなる。
それが、グラッセだ。
にんじんのグラッセが嫌いだ。
はい、本題終わり。