先日、北海道に出張に行ってきた。
もちろん仕事だ。
初日は小樽のコテージに泊まり、
クライアントさんたちとみんなでBBQをした。
もちろん仕事だ。
そして翌朝7時にコテージを出発。
車に乗せてもらい、みんなで積丹に向かった。
車はシャコタンではなかった。
積丹には何をしに行ったのかというと、
ウニ丼を食べに行った。
もちろん仕事だ。
今年はウニがあまり取れないらしく、
積丹産のバフンウニのウニ丼はなんと19800円だった。
さて、
北海道を走っていると、僕の大好物とたくさん出会うことができる。
それは「珍しい地名」だ。
僕は言わずと知れた珍しい地名フェチである。
以前も「コイポクシュオシラルンベ」についてを、
このエッセイに書いたことがある。
今回、また素敵な地名と出会ってしまったのだ。
それは小樽から積丹に向かう途中に通り過ぎた余市で見つけた。
余市といえば、ニッカウイスキーの蒸留所があり、
その名も余市という、世にも美味しいシングルモルトウイスキーを作っている。
以前その蒸留所を訪れたことがあり、
そこに行かないと飲むことができない、限定のウイスキーを飲んだことがある。
あれは本当に涙が出るほど美味しかった。
ウイスキーの話はこれくらいにして、
地名である。
小樽から国道5号線をひた走り、
余市町に突入してすぐのところにそれは見られる。
僕が最初に気づいたのは橋の名前だった。
そこにはこう書かれていた。
「畚部橋」
待て。
待て待て待て待て。
なんだその字は。
北海道にも沖縄にも、
「こりゃなかなか強烈な当て字だな」
と思うような地名はよくある。
これは読めないだろっていう地名で僕が好きなのが、
「重蘭窮」だ。
これは「ちぷらんけうし」と読む。
他にも「知方学」なんかもなかなか読みづらい。
これは「ちっぽまない」と読む。
だが、いずれにしても漢字自体は見覚えがある時だ。
だが、
「畚部橋」
これはわけが違う。
「畚」
なにこれ。
作るなよ!
僕は真剣にそう思った。
そんな字ないでしょ、と。
北海道の地名で、その地名意外に見たことがない字というのがもう一つある。
それが、
「留辺蘂町」の「蘂」の字だ。
これは「るべしべちょう」と読む。
ただこの字に関しては、読み仮名と見た目から意味が推察できる。
植物のおしべとめしべを変換すると、それぞれこうなる。
雄蕊、雌蕊。
この「蕊」の字の下になぜか「木」がくっついているわけだ。
少し調べてみると、「蘂」は「蕊」の旧字体であることがわかった。
話を戻す。
「畚部橋」
なんじゃこりゃ。
読み方を見ると「ふごっぺ橋」と読むらしい。
「畚部橋」の下には「畚部川」が流れていて、
その近くには「畚部岬」もある。
それぞれ、ふごっぺがわとふごっぺみさき、だ。
こうなってくると、もう頭がクラクラしてくる。
畚
畚
畚
畚
畚
どうだろうか。このフォルム。
なんというか、不安にならないだろうか。
字としてのバランスが、なんか変なのだ。
なんというか、
サザエさんのエンディングテーマで、最後にみんなが雪崩れ込んでいく家のような形だ。
その近くには畚部洞窟という洞窟まである。
この言葉は由来がはっきりしないと、余市町のサイトには書かれていた。
なので、この意味についてchatGPTに聞いてみた。
すると、こんなことを言うのだ。
アイヌ語で「フゴッペ」とは、「穴」や「窪み」を意味します。この言葉は、地形的な特徴を表す際に使われることがあります。
この場合、「窪みのある場所」や「洞窟」を指しています。
ん?待て待て。
じゃあフゴッペ洞窟は「洞窟洞窟」という意味なのか?
と確認すると、
「フゴッペ」とは、「穴」や「窪み」を意味するアイヌ語の単語ですので、「フゴッペ洞窟」と言うと、「洞窟洞窟」となり、重複してしまいます。この場合、「フゴッペ」は地名や地形を指し、その場所にある特定の洞窟を示す名前として使われています。従って、「フゴッペ洞窟」という表現は、地域名と地形の特徴を組み合わせたものと理解するのが自然です。
と、よくわからない回答が返ってきた。
いずれにしても、
「畚」
このサザエさんちみたいな字である。
この字は、この地名を書き記すためにのみ生まれた文字であろうということを僕は疑わなかった。
だが、話はここから急転直下を迎える。
この字単体で調べたところ、
なんと普通に存在したのだ。
この字には二つの読み方がある。
ひとつは「もっこ」
そう、
冴羽 獠である。
冴羽 獠ではない。
調べると、
藁蓆(わらむしろ)など平面の四隅に吊り綱を2本付けた形状の運搬用具である。
と書かれている。
そして、この字にはもう一つの読み方がある。
なんと、
「ふご」
である。
これを「もっこ」ではなく「ふご」と読む場合には、
稲わらを編んだ円筒状または円状の運搬容器
を指す、というふうに意味が変わるようだ。
そうなのである。
これはもともと「ふご」と読む漢字だったのだ。
ならば、
「畚部」と書いて「ふごっぺ」と読むことは、
そんなに飛躍しているわけではなく、
大騒ぎするようなことでもなかったのだ。
だが、大変驚いたことには変わりがない。
ちなみに、
「煽てと畚には乗りたくない」ということわざがある。
「おだてともっこにはのりたくない」
と読む。
おだては文字通り、おだてられるということだ。
ではなぜおだてだけでなく、もっこにも乗りたくないのか。
江戸時代、もっこは死刑囚を運ぶのにも使われていたそうなのだ。
だからそれには乗りたくないと。
なるほど、確かに乗りたくない。
それに乗ってしまったが最後、
最終目的地はきっと、サザエさんちだろう。