僕は元々、ロレックス、みたいな高級腕時計とかには興味がなかった。
そもそもブランドというものに疎かった。
時計なんていうものは時間を見ることができればそれでいいと思っていたし、
そもそも携帯を持ってるのだから時間を見るなんてことに不便しないんだから、
なんで腕時計なんてするんだろうか、ぐらいに考えていた。
けど、そんな僕の時計に対する認識が大きく変わった出来事がある。
あれは確か横浜そごうの中を歩いていた時のこと。
彼女(今の奥さん)のアクセサリーを見るためにぶらぶらしていたら、
同じフロアに高級腕時計のコーナーがあった。
見るともなく見ていたのだが、
ある時計に強く目を惹かれた。
それは「モーリスラクロア」というブランドの「ルー・カレ」という時計。
全く知らないブランドだったのだが、
その美しいデザインに魅せられた。
言葉で説明するのは難しいのでよかったら調べてみてほしいのだが、
文字盤上に針だけでなく、歯車が見える形で二つ配置されている。
その歯車の片方が正方形、
その正方形の歯車と噛み合う形で、
もう一つの歯車があるのだが、
そちらは三つ葉型。
それが澱みなく滞りなく綺麗に噛み合って回るのだ。
元々メカニカルなものは好きなタチだったので、
「こんな腕時計もあるのか」
と、強く興味を持った。
それからしばらく、モーリスラクロアというブランドについて、
色々と調べるようになった。
モーリスラクロアにはマスターピースという高級ラインがある。
ルー・カレもマスターピースだ。
このマスターピースのシリーズに、
非常に面白いデザインのものがたくさんある。
例えば、
ミステリアスセコンドという時計は、
秒針がまるで宙に浮いているような不思議な動きをする。
グラビティという時計は、
大きな歯車がまるで心臓のように動く。
とても素敵だなー、と思ってネットで眺めていた。
すると、時計というものが、なかなかに面白いものだということがわかってきた。
いわゆる機械式腕時計、つまり、電池を使わないような腕時計というのは、
まるで生き物のようだな、と思うようになった。
腕時計の雑誌を買ってみて、
いろんなブランドを横断しながら眺めていく。
すると、あるデザインのものが、非常にかっこいいなと感じていることに気づく。
それは、文字盤の中央下部分に、
何か複雑な歯車が配置されているもの。
ただ、
僕が非常に気に入ったそのデザイン。
これがなぜか、どのブランドでもゼロが一つ多くなるくらい高額になる。
「なぜこのデザインだけ、どのブランドも飛び抜けて高くなるのだろう」
その時はただのデザインだと思っていたのだが、
それはある特殊な複雑機構であることを学んだ。
「トゥールビヨン」
という。
トゥールビヨンというのは、
時計の中の歯車が回っている部分全体を回してしまうことにより、
重力の影響を均等化させて、
時間が狂わないようにするための機構で、
これが入っているだけで数百万円、数千万円、
ブランドによっては億単位の時計になってしまう。
なぜこんなものが作れるのだろう。
僕はさらに時計に魅せられていった。
小さな生き物が呼吸をしているかのように動くのだ。
そもそも時間とはなんなのか、と考える。
時間というのは、存在ではなく概念だ。
なぜなら、
空間にある何もかもが何も変化しない状態だったら、
そこには時間は存在しないからだ。
何かが変化するから、
時間というものを感じられるようになるl。
それはそのように感じているだけであって、
それによって時間が「存在する」とは言えない。
あくまでも概念なのだ。
その概念でしかないものを、
可視化できるようにするものが時計で、
機械式時計はネジを巻かれるということによって呼吸が始まる時を刻む小さな生き物。
そんなふうに見えてくるのだ。
ある時、
中国製の非常に安価な(とはいっても数十万円だが)トゥールビヨンがあることを知った。
自分の腕の上でトゥールビヨンの機構が動くことをイメージした僕は、
それを手に入れたいと思うようになった。
そして購入したその時計が、
メモリジン。
メモリジンはブランドとしては高級ラインではない。
でも、トゥールビヨンを安価に手に入れることができる、
という意味ではとても魅力的だった。
それを手に入れてからというもの、
メモリジンは僕の相棒になった。
彼女の実家に挨拶をしにいった時にもつけていった。
割と針の音が大きい時計で、
お義父さん、お義母さんとの会話が止まって沈黙になった時、
部屋にその針の音が響いたほどだ。
奥さんにエンゲージリングをプレゼントした時、
奥さんはお返しに腕時計をプレゼントしてくれた。
それは、モーリスラクロアのグラビティだった。
僕が今でもメインで使っている、
大きな歯車が心臓のように動く時計だ。
今も僕のデスクで、
その小さな心臓は心拍を繰り返している。