あいうえッセイ、しばらく止まってました。
というのも「な」まで来てしまったからです。
ここで「中野」の話を書くのって、すごくつまらないなーって思ったんです。
思ったんですが、
いざ、中野以外の「な」を探してみるのですが、文章として書けるものが全然見当たらないんですよね。
結果、惰性として「中野」の話を書き始めてしまいました。
今後、中野は惰性の代名詞として覚えておいていただけたらと思います。
って言っても、そもそも中野を題材にして書けと言われたところで、
これもそんなに書くことがないんですよ。
一応地元の厚木の妻田では、
川井、藤井、中野、という3つの苗字は、ちょっとした御三家的に扱われていて、
まあ、本家がでかいっていうだけなのですが、
学校の先生からも「中野って、あの中野家の中野か?」なんて言われたことがあります。
あのもなにも、厚木の中野ですとしか言いようがなかったので、
「なんでそんなことをわざわざ言うんだろう」
なんて思ってたんですけどね。
その御三家らしい中野家ということで、
僕が何か恩恵を受けたのかというと、
特にそういう覚えはないですね。
本家がでかいって言ったって、
それはあくまでも本家の話なので。
分家なんだか末端なんだかすらよくわからない家柄の僕は、
その辺に関する思い入れっていうのは全くないわけです。
そもそも御三家みたいなものがあったって言っても、
それだって厚木市の御三家なんてもんじゃないんですよ。
厚木の、妻田っていう狭い地域の話で。
そりゃーもう小学校の学区よりも狭いような地域の話です。
そして、
たぶん御三家だなんて、周りの人だって把握してないと思います。
ってことはですよ、
中野家、川井家、藤井家の人が勝手に言っていただけっていう可能性も高くて、
なんだその自家発電っていう話なんですよね。
今、中野家で良かったことを一生懸命思い出しているのですが、
これが本当に特にないんですよね。
今ふと思い出したのは、
父方の祖母の家系が非常に立派な家系だったと、祖母から聞かされたことがある、
っていうことです。
なんだかすごいお屋敷が建っていて、
だからその辺りの住所は御殿と呼ばれているとかなんとか。
そうそう、わかってきました。
そもそもは祖母です。
祖母が、家柄とかそういう話が大好きなんですよ。
良い方にも悪い方にも。
だからうちの妹が結婚する時には、
旦那さんについて「どこそこの地域の、なんとかって苗字ではないよね?」と
かなりしっかり確認してました。
どうも、その地域に住んでいるその苗字の家系が、
いわゆる差別的な扱いを受けてきた家系らしく。
でも、同世代でそんなことを言う人っていなかったし、
誰も気にしてなかったように思うんですよね。
僕が無頓着だっただけかもしれませんが。
そういう差別的な扱いを受けてきた家系の話や、
お屋敷が建っていた家系の話や、
御三家的な家系の話、
なんかまるごとその祖母から聞いてきたような気がしてきました。
そんな祖母は今施設に入っていて、
コロナが流行っちゃってからは会いにいくこともできなくなってしまったので、
もう何年も会えていないんですよね。
そろそろ息子を会わせたいな、なんて思っているのだけど、
なかなかそれも叶わず。
父が洗濯物を取りに行ったりしてるようなのですが、
なんだか記憶も怪しくなってきちゃってるみたいで。
会ったり話したりしないと、だんだんそうなっていっちゃうのかもしれませんね。
誰が誰の子で、みたいなのが、
もうしっちゃかめっちゃかになってるらしいです。
あんなに家系の話が大好きだったのにね。
皮肉なものだなぁ、なんて思ったけど。
だけど、
なんか色々めんどくさいしがらみみたいな記憶から解放されていってるのかもしれませんね。
きっと、
僕のことをどの子のところのどの孫だか分からなくなってしまっても、
ひ孫を見せにいけば「かわいい」と言ってくれるんだろうな、と思います。
そして、
勉強しろ、いい学校に行け、って言うんだろうな。
おばあちゃん、
僕が高校を中退したことをいまだに知りません。