僕は、卓球が大好きです。
それはそれはもう、めっちゃやりまくってます。
週に5〜6回、練習をしたり試合に出場したりしています。
僕と卓球の出会いは、小学生の頃の児童館でした。
近所のお兄さんが児童館に置かれた卓球台で卓球をしていたんです。
それがものすごく面白そうで。
僕もラケットを初めて握らせてもらったのですが、
その時は「飛距離を競うスポーツ」だと思っていたので、
ただただボールをかっ飛ばして終了しました。
その後、児童館で時々卓球をするようになり、
ルールもある程度きちんと覚えました。
が、特に誰かから指導されたというわけでもなかったので、
とりあえずただボールを打つのを楽しんでいる、というような状態でした。
それでも、そんな卓球が楽しかったので、
中学校に入ったら卓球部に入るんだと決めていました。
そして、念願叶い中学入学とともに卓球部に入ることができました。
いわゆる普通の学区で入った普通の中学校でしたが、
顧問の先生がきちんとした指導力を持った先生だったので、
そこで、他の学校の部活スタートの子には負けないような実力をつけていくことができました。
部活スタート、というのはどういうことかというと、
通常ジュニアの強い子達というのは、部活で卓球を始めるのではなく、
小学生、またはそれ以前から、学校ではないクラブチームに入って厳しい練習をしてきているんです。
つまり、そういうクラブチームスタートではなくて、
中学校の部活で卓球を始めた人のことを、部活スタート、と呼んだりします。
結局、クラブチームスタートの子達にはなかなか勝てないのですが、
それでもそれなりに渡り合っていくことができたのは、
やはり顧問の先生のおかげです。
中学生の時の僕は、神奈川県の県大会で、
確かベスト16まで進むことができたのが最高成績だったと思います。
その頃はペンドラでした。
ペンドラというのは、ラケットをペンのように握ってプレーをするスタイルのことです。
児童館でも、児童館で借りていたラケットがペンだったので、中学校でもそのままペンでやってました。
その当時、なにしろペンでかっこいい選手がいて、キムテクスという選手なのですが、
もうその人がカッコ良すぎたために、僕もあんなふうになるんだ!なんて思ってしまったんですね。
高校には卓球で推薦入学しました。公立の商業高校です。
そこでもペンのままプレーしていたのですが、
卓球自体を半年で辞めてしまいました。
なんか、色々挫折みたいなことがあったんですよね。
今思えば、ただ頑張れなかっただけ、のような気もするのですが。
そうなると、学校に行く理由自体がなくなってしまい、高校を中退してしまいました。
まあ、それからふらふらと長い期間を生きるわけですが、
時々、卓球をすることもありました。友だちとゲームセンターでやったり。
僕は卓球以外にこれといって運動をしないので、
卓球しなくなると、本当に体を動かさなくなってしまいます。
なので、ちょっとは体を動かそうと思い、当時住んでいた厚木のクラブに入ったこともあります。
(ここは紆余曲折あり、一度脱退し、今また所属しています)
そこも週1回の練習に出たり出なかったり、試合にも出たり出なかったりだったので、
中学生の時以上に強くなるようなことはなかったように思います。
その時もまだペンでした。
時が立ち、30代になり、新宿御苑の事務所で仕事をしていた頃。
僕はまた、ほとんど体を動かすことがなくなっていました。
そんな時、パートさんが「こんなチラシがあったよ」と。
それは、その事務所からかなり近いところに、卓球スタジオがあるよというお知らせのチラシでした。
卓球スタジオ?なんじゃそりゃ?
そう思い、行ってみました。
すると、グループレッスンなどがあり、
時々体を動かす程度にはちょうどいいかもしれない、と、
月に数回、気まぐれにその卓球スタジオに行くようになりました。
その頃、今のチームのキャプテンともそのスタジオで出会いました。
晴れてZIZO倶楽部のメンバーになった僕ですが、やはり練習をするということはあまりありませんでした。
試合にだけ出る、みたいな時期を過ごし。
あれは確か、今はもうない中野体育館の小体育室で開催されたP4マッチに参加した時のこと。多分6年くらい前です。
試合中に僕は盛大にすっ転びました。
中学生の時みたいに動けるつもりで試合していたのですが、僕はその時で36歳(記憶があっていれば)。
しかも、ほぼ練習しない状態。
ペンドラというのは足をかなり酷使するプレースタイルなので、
すっ転んでもしょうがないような状況でした。
「これは、このまま卓球をしていると、怪我をするな」
と思い、長く卓球を楽しむためにプレースタイルを変更することにしました。
37歳。
これが僕がペンからシェークに持ち替えた理由です。
シェークに転向したのは「両面にラバーを貼れるから、あまり動かなくて済むだろう、楽だろう」という安易な発想でした。
が、
これが本当に非常に安易な発想だったということは、
シェークを初めてみてすぐにわかりました。
なにしろバックハンドが難しい。フォアハンドもどうやって力を入れていいかわからない。
それはもう初心者のような状態になりました。
でも、それがめちゃくちゃ面白かったんです。
難しすぎて楽しい。
その頃から僕は、コーチをつけて個人レッスンを受けるようになりました。
そして気がつけば、週に5回も6回も卓球をするようになっていたわけです。
今となっては、
「ペンの面影が全くない」
「シェークを初めて5年だなんて信じられないくらいスムーズ」
と言ってもらえるようになりましたが、
5年でここまでくるのは、我ながら結構大変だったなー、なんて思っています。
大人になってから、どハマりできるものがあると、
本当に人生が充実するな、と思います。
卓球って一人ではできないから、自然と人とのつながりもできました。
チームに所属させてもらえることで、そこでの楽しみも増えました。
あれ、
気がついたら、卓球との出会いや、今のプレースタイルに至るまでの歴史を書いてしまっていました。
本当は、
卓球のおもしろさ、難しさ、みたいな話がしたかったんです。
卓球って、僕は世の中にあるスポーツで一番難しいんじゃないかと思うんですよ。
だって、ピンポン球って初速だと120キロくらいあるんですよ。
しかもそれが、3メートルにも満たない卓球台の向こうから飛んでくる。
その時間、わずか0.2秒です。
プロ野球選手のピッチャーが球を投げて、バッターにたどり着くまでが0.4秒と言われているので、
その半分の時間でボールが飛んできてしまいます。
それだけじゃないです。
卓球って、他のどのスポーツよりも、回転の要素が大きいスポーツです。
なにしろその回転の影響が強すぎて、
真正面から飛んできたボールに、真正面を向けてラケットを出しているのに、
ボールが右に飛んで行ったり左に飛んで行ったり、真下に落ちたり、なんていうことが当たり前のように落ちます。
この回転の量というのも、最大で1秒に170回転。
これはジェット機のエンジン並みの回転量です。
だから、ものすごく影響を受けるんです。
つまり、0.2秒の間に、
「まっすぐ触ってしまったらどこに飛んで行くかわからないボールをどんな角度で返球するか」
「どれくらいの強さでタッチし、どんな回転を与えて返球するか」
なんていうことを考えながら動かなくてはいけないのです。
だから、昔の卓球界のドンは、
「卓球はチェスをしながら100メートル走をするようなもの」
なんていうたとえ話をしているんですよね。
あなおそろしや。
卓球。
でも、この回転の虜になると、卓球をやめられなくなるんです。
2.7gなんていうめちゃくちゃ軽いボールに、
どのように力を加えて、いかに効率よく飛ばすか、
なんていうことを考え出すと、夜も眠れなくなるんです。
最近は毎晩8時間くらいしか眠れません。