横井さん、という人がいる。
卓球界ではちょっとした有名人だ。
横井さんは僕が所属する卓球チームである「ZIZO倶楽部(じぞうくらぶ)」のキャプテン。
大人になってから卓球を始め、今はほとんど毎日練習をし、
今年も150大会もの試合に出場する猛者中の猛者だ。
もさもさのもさである。
150大会だ。
150ゲームでもなければ、150試合でもない。
考えてみてほしい。
多くの人にとって1年間は365日だ。
その中で、150大会に出場する。
この異常性がわかるだろうか。
年間200大会に迫る勢いで試合に出場していたこともある。
ちなみに僕はというと、
今年は65大会に出場した。
これですら、
「そんなに出てるんですか!?」
と驚かれるレベルである。
が、その倍以上だ。
もさもさのもさである。
横井さんには、学生時代の卓球経験がない。
確か、温泉卓球か何かで卓球にハマって以来、
レッスンに行ったり練習したり、ということを始めたということだったと思う。
横井さんと出会ったのは、
新宿御苑前にあるZEOSという卓球スタジオだ。
その頃僕は卓球をほぼやっていなくて、
でも、一緒に働いていたパートさんが、
「中野さんって、確か卓球やってたよね?なんかこんなチラシあったよ」
と持ってきてくれたのがZEOSのチラシだった。
僕は、卓球スタジオなんていうものの存在を知らなかったので、
これはひとまず一度行ってみようと、ラケットを引っ張り出して、
グループレッスンというものに行ってみた。
レディースのお客さんが多かったのだが、
その中にいたのが横井さんである。
横井さんの第一印象は、
「おひょいさんみたいな人」
だ。
軽妙な語り口でマダムたちを楽しませ、あしらい、ボールをさばいていく。
確かその頃はまだ横井さんも卓球を始めたてで、
上手というわけではなかった。
だけど、横井さんの周りには楽しい卓球仲間がいて、いつも楽しそうだった。
そんな楽しさに導かれて、僕もいつの間にか横井さんの仲間に加わっていた。
それが「チーム横井」というチームだった。
ただ、僕が加入してからチーム横井はこれといった活動はなく、
とある出来事があり消滅してしまった。
それでも、横井さんとはZEOSで時々遭遇していた。
そしてそうこうしているうちに、
今度は横井さんが「ZIZO倶楽部」を作っていた。
そして、僕も割と初期のメンバーとしてそのZIZO倶楽部に入り今に至るのだが、
どんな経緯でZIZO倶楽部に入ったのかをいまいちうまく思い出すことができない。
幻術にでもかけられていたのかもしれない。
ZIZO倶楽部に加入してから、
僕にとっての卓球は「ゲーセンで時々する運動不足解消の遊び」から、
れっきとしたスポーツに変わった。
練習会もたくさんあるし、試合にもたくさん誘ってもらえる。
どうせやるなら強くなりたい。
そう思うようになった。
P4マッチに出るきっかけも横井さんだった。
今はもうない中野の体育館のP4マッチに横井さんが誘ってくれたのだ。
当時は、なんだかよくわかっていなくて、とりあえず参加したが、
確かその試合で僕は盛大に転んだのだ。
当時の僕はまだ中学生の時の名残りで、
ペンドラといって足で動き回ることを求められる卓球スタイルを続けていた。
だが、こちとらゲーセンでたまにやる程度の人間である。
頭では中学生の時みたいに動ける自分をイメージするが、
全く体がついてこない。
それで盛大にすっ転んだのである。
このことをきっかけにして、僕はラケットをペンからシェークに変更する。
シェークというのは両面にラバーを貼って打つラケットのスタイルで、
当時の僕は「この方が両面使えるから足をそんなに動かさなくて済むから安全だし楽だろう」と思っていた。
でも、実際やってみるとめちゃくちゃ難しく、さらに足を動かす必要があり、
そんなこんなで卓球の奥深さ、面白さにはまり、
僕も今の練習頻度になっていったわけで。
つまり、
横井さんがP4マッチに連れて行ってくれなかったらこんなことも起きていなかったのである。
シェークに転向したから練習するようになったし、
練習するようになったから大きな大会にも出られるようになった。
とはいえ、ZIZO倶楽部に参加してからしばらくは、
というより、割とつい最近までは、
僕が出る試合はほとんど横井さんから誘ってもらったものだった。
誘われるままに試合に出て、試合を楽しみ、打ち上げまで行く。
横井さんはお酒を一滴も飲めないけど、よく打ち上げに来てくれる。
打ち上げだけじゃない。
試合後にカラオケに行ったり、ボーリングに行ったり。
本当にアクティブだ。
遊び方が上手い、というのだろうか。
おしゃれな大人という感じである。
今となっては、
中野=卓球というイメージが定着しているが、
横井さんがいなかったら僕はこんなに卓球をやることはなかった。
僕の人生に与えた影響は大だ。
ZIZO倶楽部という楽しいチームがあり、仲間がいて、
僕の人生には色彩が増えたのだ。