10代から20代前半にかけて、結構真剣に、
「来世はくらげとして生まれたいな」
と思っていました。
これは別にネガティブな話ではなくて、単純にくらげがすごく好きだったからです。
水族館ではくらげをメインに見ていました。
あの漂うというか揺蕩うというか、あの感じが好きなんです。
今は、他の魚や生物を見る楽しみも覚えたので以前ほどではなくなりましたが、
それでもやっぱりくらげってすごく魅力的な生き物だな、と思います。
くらげって、他の生物と同じように有性生殖で卵を産んで増えることもあれば、
分裂して増えることもあるんですよね。
なんか、すごく変な生き物ですよね。
そもそもなんで来世はくらげがいいなんて思っていたのかというと、
きっと、なんにも考えてないだろうな、なんて思ったからです。
10代後半から20代前半の僕といえば、高校を中退して、
コンビニでバイトしながらギターを弾いたりサックスを吹いたり、
ライブハウスでバーテンをしたり、ストリートミュージシャンをしたりしていました。
何も考えずに無鉄砲に生きていたようにも思うのですが、
実際には、何も考えないようにしていた、という側面が強いように思います。
だから、くらげがなにも考えていなさそうで、ちょっと憧れていたのかもしれません。
そのころCDショップで、癒し系のCDが流行ってたりしたのですが、
ジャケットがくらげだと、なぜか即買いでした。
家でくらげを飼いたいな、なんて思ったこともあって、
でもいろいろ調べてみると結構難しそうなんですよね。
人工のくらげを水槽の中で泳がせるインテリアみたいのもあるのですが、
あれは全然くらげに見えなくて。
なんか、ふわふわしていたかったんでしょうね。
そんなに子どもでもなければ、まだそんなに社会的責任もない。
そんな状態をただよっていたかったんじゃないかなぁ、なんて思います。
まあ、その頃からもう身長は182センチあったので、
ずうたいばっかりでかいくせに何言ってんだって感じですが。
もしかしたらその頃、
この人は深く繋がっている友達だ、と思える人がいなかったからというのもあるのかもしれません。
いくつかの仲良しコミュニティーの中にはいたのですが、
でも、なぜかいつも疎外感がありました。
たぶん、ルーツ的なところなんですよね。
僕は一応一旦は高校に進学しているのですが、
その時点で家から結構遠いところに行ってしまい、入学後半年は部活に明け暮れる毎日。
なので、心を開いて会話をする相手というのがあまりいなかったんです。
そして、半年で部活をやめて、学校もやめて。ぷらぷら。
コンビニでバイトしてましたが、そこでも友だちができるというわけでもなく。
コンビニの店長にはなぜか宗教勧誘され。
ストリートミュージシャンとして本厚木の駅前に繰り出しましたが、
そこにはもうすでにルーツを同じくする人たちのコミュニティーが形成されていて。
別につまはじきにされるわけでもないし、
一緒に遊んだりもしていたのですが、
でも、一緒にいるけど一緒にいない、
そんな感覚をいつも味わってたんです。
今思えば、
僕が勝手にそう思ってただけなんでしょうが。
だからくらげの、
群れてるように見えるけど、周りを一切気にしていないようにも見える、
その寂しさを寂しさとも思わないような距離感に憧れてたのかもしれません。