【お】おじさんの話

おじさん、と言われるのが嫌だ。

だから、おじさんと言われるたびに、お兄さんだと言い返してる。

そんな42歳。

 

実をいうと、おじさんと言われることがそんなに嫌なわけではない。

冒頭の言葉をいきなり覆してしまうけど。

 

そうじゃなくて、何か型のようなものに押し込められてしまう感覚がすごく嫌なのと、諦めのような感覚で自分の呼称が決まってしまうのが嫌なんです。

 

振り返ってみると、地元の同い年の集まりで、30歳を過ぎた頃から、

もうおじさんだから、もうおばさんだから、というキーワードが出るようになったと思う。

 

でも、僕はそのころおじさんだなんて言われたことはなかった。本当になかった。

10代の頃は老け顔だと言われていたが、20代半ばくらいからは年齢よりもかなり若く見えると言われるようになった。

だからか、30歳を過ぎたくらいでは全然おじさんと言われなかった。

 

公園で本を読んでいた時に、足元にボールが転がってきて、それをとってあげたら、

その子のお母さんが「お兄さんにありがとうって言いなさい」と。

それだって、僕的にはとても自然なことだった。

 

だから、同い年の集まりで周りのメンツがおじさんだのおばさんだのと言い始めた時に、その公園での話をした。

 

すると「それは気を使ってるだけだ」なんて言われる。

 

あー、なるほど。これは決めつけだな、と思った。30過ぎたらおじさん、おばさんだと決めつけているんだな、と。

まあ、世の中的にそんなふうに決めつけている人は確かに多いのかもしれない。

 

だけど、僕はそんなふうに決めつけられたくない。

自分がおじさんになる時は自分で決めたい。

そう思うようになった。

 

だから「もうおじさん」みたいなキーワードが出るたびに、

「俺はお兄さんだから」と言うようにしてきた。

 

すると面白いことに、なぜかそれについて怒る輩が出てきた。

怒るって言っても激昂するわけではないのだけど、

「お前、いい加減にしろよ?」みたいな。

 

他人の自分自身に対する呼称のことで、そんなふうに怒る意味がさっぱりわからない。

が、分からないながらもそうやって怒る輩の話を聞いてみたら、

なんやかんやと言っていたが要するに、

「お前もさっさと諦めろよ」

ということらしかった。

 

なんでだ、と。

なんで、君と同じにならなくてはいけないのか、と。

俺は君がおじさんだろうがお兄さんだろうが一向に構わない。

だけど、君から僕の呼称を押し付けられる言われはない。

 

というか、それって諦めるような話なのか。

 

僕が気に入らないのは、

「早く諦めた方が大人」とでも言いたいかのような風潮なのかもしれない。

 

10代の女の子が「ハタチはおばさん」と言っていたのを見たことがある。

これも「さっさと諦めておじさん(おばさん)と自称してしまう方が賢明」という風潮によるものなんじゃないか、

なんて思ってしまう。

 

でもそれって、結局流されてるだけじゃん?と。

自分が自分をどう思いたいかなんて、自分で決めればいいじゃん?と。

僕はそう思うんですよね。

 

だから「さっさと諦めろ」という攻勢には、絶対に屈したくないと思ってます。

 

僕が自分自身のことをおじさんと自称し始めるまでは、

誰がなんて言おうと僕はお兄さんです。

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