人が亡くなることを「不幸」という。
「実はこの間、不幸がありまして」
みたいな感じで。
実は、これはなんの冗談でもなく、
先ほど僕にも不幸があった。
今朝方、父方の祖母が亡くなった、という連絡があった。
これで僕には、
おじいちゃんもおばあちゃんもいなくなった。
まあ、僕も42歳だ。人生もそういうフェーズに入ってきている、ということだろう。
当然のことながら、
幼かった頃の僕は、自分のおじいちゃんやおばあちゃんが死ぬなんて、考えたこともなかった。
実際、僕が本当に幼かった頃には、
おじいちゃんもおばあちゃんも元気でいてくれた。
だから僕は、祖父母の家に遊びに行くのが大好きだった。
そんなおばあちゃん、最後のおばあちゃんが亡くなったのだから、
悲しくないわけがない。
だけど、まだ悲しみに暮れてもいない。
何せ実感がないのだ。
ずっと会えなかったから。
おばあちゃんは、ある時転んで腰を強打して入院してから、
ずっと家に帰れていなかった。
そのまま、いわゆる施設に入ることになり、
もう何年もその施設にいた。
僕はよく顔を見に行った。
そうすると、おばあちゃんが喜ぶから。
ところがある時それも叶わなくなった。
コロナだ。
当然そういった施設というのは、
体が弱い方がたくさんいる。
だから、コロナみたいな感染症が流行っちゃったりすると、
もう一般人はそうそう中には入れさせてもらえなくなる。
特定の人だけが、
ほんの短い時間だけ中に入れる、
みたいな状態で。
父や叔母が着替えを持っていくだけの状態だった。
だから、僕はおばあちゃんに奥さんを会わせられていないし、
当然ながら息子も会わせられていない。
これはとても残念なことだ。
おばあちゃんは、僕のやることなすこといつも笑ってくれた。
一緒に電車に乗っては、駅名をダジャレにして伝える。
隣に座っているおばあちゃんが大笑いする。
もしかしたら、人を笑わせるのが好きだという僕の性格はの原点は、
ここにあるんじゃないか、なんて思った。
小学生の頃のある時、僕はおばあちゃんにあるものを買っていったことがある。
それは、メガネ洗浄剤だ。
いれば洗浄剤みたいな、水に入れると泡がシュワーっと出てくるやつで、
それにメガネをつけると汚れが綺麗に落ちる、というもの。
別におばあちゃんのメガネが汚れていたわけではないのだが、
僕がシュワシュワさせたくて買っていったのだ。
縦長のコップに水とメガネを入れて、そこに錠剤を入れる。
シュワーーーっと泡が立つ。
しばらくして泡がおさまって、
僕がメガネを取り出し、拭き上げて、おばあちゃんに渡す。
それをかけたおばあちゃんは、
「たいち。世界が明るくなったよ。」
なんて言っていた。
僕がまだ実家に住んでいた頃、
中学生くらいの頃か、高校を辞めた頃か。
おばあちゃんから電話がかかってきたことがある。
「元気にしているか」
と。
「お母さんも元気か」
と。
「お父さんはどうしてる?」
と。
父はちょうどその頃、
新しい喫茶店を出す準備をしていた頃だったように思う。
なんか、そんな様子だよということを伝えると、
おばあちゃんはすすり泣きをはじめた。
僕には、おばあちゃんがなぜ泣いているのかが分からなかった。
今思えば心配だったんだろう。
とりわけ、学歴だ肩書だということが好きなおばあちゃんだったし、
それはただそれが好きだというだけでなく、
そういうものにこそ安定した未来があるという価値観の人だったのだ。
父は、確か大学を中退してる。
それから、喫茶店を出し、潰し、
雇われ店長になり、裏切りにあい、
人の出資で喫茶店を出す、
みたいな頃にかかってきた電話だったと思う。
だから、心配だったんだと思う。今思えば。
前にも書いたと思うが、
そういう価値観のおばあちゃんなので、
僕が高校を中退したことは知らない。
知ったら卒倒すると思う。
以前僕が、とある会社の営業職で働いていた時のこと。
おばあちゃんに会いに行くと、
「今はどんな仕事をしてるんだい?」
と。
「営業をやってるよ」
と伝えたら、おばあちゃんは大喜びした。
「営業を身につけたらね、一生食べていけるからね」
と。
おばあちゃんは、
確か呉服の営業の仕事をしていた時期があって、
たいそう成績が良かったらしい。
「営業ができればね、なんだって売れるからね」
と。
これももしかしたら、
僕が今でもインターネットでマーケティングの仕事をしていることにつながっているのかもしれない。
確かに、
マーケティング、セールス、ライティングの技術があれば、
一生食うには困らない。
今年の正月、実家に帰った時に、
おばあちゃんの様子を聞いた。
父が言うには、
あんまりみんなと会えないもんだから、
家族の相関図が分からなくなってしまっていたらしい。
誰が誰の子どもで、誰と誰が結婚していて、誰と誰が兄弟で、
みたいなことが、ごっちゃごちゃになってしまってたんだとか。
父が言うには、
「ちょっと認知症気味かもしれない」
とのことだったが、
僕は、あんまりずっと誰にも会わずに同じ建物の中にいたら、
認知症にならずとも、そうなってしまっても仕方がないんじゃないか、
なんてことを思った。
そして、
やっぱり近いうちに会いに行かないといけないな、
早く施設の面会の規制が緩和されないかな、
なんてことを考えていたのだ。
それが今年の正月。
先月息子も2歳になり、
そろそろおばあちゃんにも会わせたいな、なんて思っていたところだった。
おばあちゃんが亡くなった、という連絡は、
今朝かなり早い時間に、父からメールで届いていた。
また追って連絡する、と。
今はそれを待っている状態だ。
そうこうしているうちに、
お通夜がどうとか、告別式がどうとか、
そんな連絡が入ってくるのだろう。
母方のおばあちゃんが亡くなった時にも感じたが、
不幸があると、さまざまなことがバタバタと執り行われる。
たぶん、バタバタした方がいいんだ。
少しは気がまぎれるというものだろう。
そういえば、
この間息子の2歳の記念写真を撮りに行ったんだ。
その時、うちの奥さんが、
「年賀状に使える写真にするために、ドラゴンっぽい着ぐるみ探すのが大変だった」
と言っていた。
来年の干支は辰だから。
来年は年賀状を出せなそうだから、
せめておばあちゃんに、息子のその写真を見せてあげたいと思う。
やはり、まだ実感がない。
なんとなく目頭が熱い感じがする。
でも、まだ実感がない。
会いたかったし、会わせたかった。
僕もまた、
こうして指をバタバタさせることで、
気を紛らわせているのかもしれない。