【へ】変態の話

たぶん僕だけではないと思うのだけど、

僕にとって「変態」という言葉は褒め言葉である。

 

もちろん、だれかれ構わず「あなた変態ですね」と言ったりはしない。

 

ある一定の「この人のことは変態と言ったら褒め言葉として伝わる」

と思うような相手を選んで「変態ですね」と言うようにしている。

 

そうでないと、当然相手は驚いたりけなされたと思ってしまうだろうから。

 

だからあなたも「変態」という言葉を他人に対して使う時には気をつけた方がいい。

 

とここまで書いてから気がついたが、

おそらく他人に対して「変態」という言葉を褒め言葉として使う人は、

自分自身も何か特定の分野に対して「変態」と言われたら嬉しい人だ。

 

だから、

「自分にとって変態という言葉は褒め言葉ではないぞ」

という方は、

他人を褒めようとして変態なんて言ったりはしないだろうから、

そんなに留意する必要もないのだと思う。

 

さて、ではどんなシチュエーションで僕は変態という言葉を使うのか。

 

それは主に、アート領域とスポーツ領域だ。

 

僕の場合は、

アート領域なら、ジャズミュージシャンに対して。

スポーツ領域なら、言わずもがな卓球選手に対して、この言葉を使う事が多い。

 

ジャズを観たり聴いたりしている時に変態性を感じるポイントというのは、

なんとも文章に起こすのが難しい。

 

なら、卓球についてなら簡単なのかというと、

これもなかなか難しい。

 

例えば、

あるコード進行やリズムに基づいてセッションが行われている。

 

その時に、メンバーの一人が、

そのコード進行やリズムから派生した、少し離れた演奏を始める。

 

すると、それに触発されたメンバーたちが、

次々に「中心にあるコード進行とリズム」を意識しつつも、

そのコード進行やリズムから離れていく、

そういう場面がある。

 

シチュエーションで言うと、

例えばマイルスデイビスの1967年ごろの演奏で、

エレクトリックなものを取り入れる直前くらいの、

マイルスデイビス、ウェインショーター、ハービーハンコック、ロンカーター、トニーウイリアムス、

という黄金のメンバーの最後期の演奏などに、その変態性が観られる。

 

なんというか、

もうほとんど全員地に足がついていないというか、

サーカス状態で演奏が繰り広げられていく。

 

御大であるマイルスだけが、

「おい、ちょっと、お前ら、やりすぎだぞ」

みたいな目をしてその状況を見ている様子が浮かんでくる。

(実際にはどうだったかは知らない)

 

こういう、

全員がコード進行とリズムを意識しながらも、

どんどんそこから離れていって、

「どこまで離れられるか」

みたいなことを意識しあっている状態を、

僕は空中戦と呼んでいる。

 

こういうことを空中戦と呼ぶ人は多分他にもいると思う。

 

ただ、ネットで調べても空中戦という言葉のこういう使い方は見当たらない。

 

とにかくみんなで派生しまくっていく状況。

もうすでに原型は演奏されていなくて、

でも、その音と音の空白から、その鳴っていない音から、

原型を僅かに感じ取れるような状況。

 

ちょっとしたことでバランスを崩してしまいそうな、

儚い美しさを持った状況。

 

こんな演奏があると僕は「変態だ」と感じてしまう。

 

 

ジャズの説明と比べたら、

卓球の変態についてはおsんなに説明は難しくない。

ただ、卓球の知識がないとそれを感じ取るのは難しいとは思う。

 

例えば、

どんなに強打を打ち込みまくっても、

その球をぺちゃぺちゃと殺しながら延々とブロックし、

気がつけば攻撃している側の選手を追い詰めていく選手。

 

相手がやっとのことで返球したボールを、

タオルを取りに歩いていくついでに返球する選手。

 

相手を思いっきりフォアサイドに飛ばして、

それを相手選手が下回転ドライブしてきたものを、

こともな気にバックサイドにツッツキして返す選手。

 

これは全部同じ選手だ。

スウェーデンの英雄、ワルドナーその人である。

 

ワルドナーには、ワルドナータイムと呼ばれる時間軸がある。

 

対戦試合を見ていると、

不思議なことに相手選手よりも、流れている時間がゆっくりなのだ。

 

高貴に、ゆったりと動作する。

ボールスピードも、他のトッププロ選手と比べると、

そこまで速いわけではない。

 

だけど、

相手が打つその場所に、ワルドナーは常に「いる」。

 

先回りしてそこにいる。

 

そして、

相手をいたぶるのに最適な返球をし続ける。

 

ただ点を取るだけでなく、

常に高貴に相手よりも優位に立って、

余裕を持って威圧し、追い詰め続ける。

 

そんな闘い方をするのがワルドナーなのだ。

 

彼を見ていて僕は思う。

 

これは「変態」だと。

 

卓球界には変態選手が他にもたくさんいるが、

そんなに例を挙げても知らない人には何もわからないので、この辺にする。

 

変態というのは、

高貴であり、儚いのだ。

 

そして、どこまでも芸術的であり、

一般人の計算を遥かに超えたところで、

瞬時に緻密な思考や反応を巡らせ、

それを表現し続ける事ができる。

 

これを変態と呼ばずしてなんと呼ぶか。

 

変態に、幸あれ。

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