【む】夢中を生きるの話

僕は今、いわゆるビジネスのコミュニティーを主宰ししています。

そのコミュニティーには、いろんな機能があって、

僕のイメージとしては学校仕立てになっているんですよね。

 

どんなものがあるのかと言うと、

・教科書

・学習指導要領

・先生

・サークル活動

・教室

・放課後

・部活

・学級通信

こんなものを取り揃えている環境になっています。

 

その中でも中心核を果たしているのが「教室」で、それはfacebookグループが機能を果たしています。

 

そしてこのグループの名前なのですが「夢中を生きるグループ」という名前になっています。

 

本当はこのサービス自体の商品名も「夢中を生きる」という言葉を使った何かしらにしたかったにしたかったんです。

「夢中を生きるマスタークラス」

とか。

 

ただ、まだまだこのコミュニティー自体がリブランディングをしたばかりで、

改めての立ち上げ期と考えているので、

抽象的な名前を避けるという判断をしました。

 

でも、近い将来「夢中を生きるマスタークラス」みたいな名前に変えていけたらな、

と思っています。

 

それで、

なぜこの「夢中を生きる」という言葉にこだわっているのかと言うと、

これから僕は自分の仕事をどうしていきたいんだろうということを考えた時に、

「夢中」という言葉に強くひかれたからなんです。

 

ではなぜ夢中と言う言葉にひかれたのか。

 

僕が人からよく言われるからなんですよね。

「大人になってからそんなに夢中になれるものがあって羨ましい」

って。

 

まあこれは主に卓球に関することなのですが、

僕の場合、おそらく仕事に関してもこれが当てはまると思うんです。

 

というのも、僕は仕事に集中していると、

奥さんに話しかけられても全然気づかないモードに入るんですよね。

それくらい集中しているんだと思うんです。

 

こういう状態を没頭と呼びます。

 

ゾーンに入る、とか、フロー状態、なんていう言い方もありますよね。

 

そして、

仕事でもプライベートでもこんなふうに没頭できるものがある生き方って、

すごく充実した生き方の一つだと言えるって僕は思ったんですよね。

 

それで、2020年くらいから卓球に没頭し続けたくて、

ビジネスのほとんどを自動化しました。

 

それこそ、一日30分仕事をしてもしなくても、毎月何百万円もお金が入ってくる状態を作れたんですよね。

最初は、うわーこれすごくいいなー、なんて思ってました。

 

好きな時間に起きていい、好きな時間に寝ていい、

何をしても何もしなくても、お金だけが毎日入ってくる。

そして、

好きなだけ卓球の練習をすることができ、曜日に関係なく試合に出ることもでき、

強くなるためにレッスンをたくさん受けることもでき、

家族ともずっと一緒にいられるし、旅行にだって好きな時に好きなように行ける。

 

なんて自由なんだ。

なんて最高なんだ。

 

最初は、1〜2年くらいはそんな生活を楽しんでいたんですよね。

 

なんですが、

だんだんと

「こんな自分が誰の役に立ってるんだろうか」

ということを考えるようになってくるんですよね。

 

これは、マズローの欲求5段解説みたいなのにも関わってくると思うのですが、

生理的欲求と安全欲求は満たされてる。

承認欲求的な部分も、ある程度は満たされてる。

自己実現欲求も、自分らしく自由に生きるという意味では満たされているように思う。

 

だけど、社会的欲求=所属と愛の欲求と呼ばれる部分が、

なんとなくすっぽり抜けてしまっている感じがあったんですね。

 

そして、そこが抜けているからこそ、

そんな自分でも認めてほしいという承認欲求が謎に暴走しそうになったり、

こんな自分が果たして社会の一員として生きられているんだろうかという部分で、

自己実現欲求もやはり満たせていないような感じがしてくるんですよね。

 

つまり、

僕には「働いて、役に立ち、喜ばれているという実感」が、

どうにも必要だったみたいで。

 

そうでない、自分のためだけのプライベートだけに没頭し続けるということが、

何とも違和感というか、僕にはとても難しいことになってきたんですよね。

 

ただ、

卓球に没頭できている日常という感覚はとてもヒントになる部分があって、

これはただ没頭していたというわけではなく、

そこには自由と没頭があったんですよね。

 

この自由と没頭というものを、

「人の役に立つ=お仕事」という部分にも導入することができたら、

と考えたのが、今の僕のビジネスコミュニティーの発想だったんです。

 

そう思った時に、

この自由と没頭のエネルギーが大きく循環する様子が、

非常に濃厚にイメージできたんですよね。

 

その時に、

「これって夢中だ」

って思ったんです。

 

だから夢中。

 

いや、取り止めのない話をしているのは自分でもわかっているのですが、

この感覚を全部言語化して捉えるっていうのが、

今の僕にはまだまだ難しく、

だからこそこうしてさらなる言語化を試みているのですが。

 

やってもやらなくてもどちらでも良いという自由がある。

でも、やらずにはいられないという没頭的楽しみがある。

それをどのようにやっても良いという自由がある。

でも、相手の喜びと自分の喜びの重なるところでの最大効率を求めるという没頭的楽しみがある。

 

僕は、こんな自由と没頭を求めているし、実現したいと思っているし、

みんなにも実現してほしいと思って、

だからこのコミュニティーをみんなと一緒に作ってきたのだと思います。

 

それが、

「夢中を生きる」

ということ。

 

夢中という言葉の周辺で、

実はいろいろ考えたんです。

 

夢中で生きる

夢中に生きる

夢中を生きる

 

どれも少しずつニュアンスが違いますよね。

 

その中でも、

夢中で生きる、というのは、

生きること自体に夢中になっている感覚があるんですよね。

 

楽しいとか楽しくないとかの前に、

一生懸命漕いでいる感じ。

 

だから、

よく「夢中で生きる」って間違えられるんですけど、

僕は「夢中で生きる」っていうのはちょっと違うなって思ってるんです。

 

それと比べると、

「夢中に生きる」っていうのは、

生きること自体に夢中になるという、生命を維持する感覚と、

夢中という場所の中で生きるという、

両方のニュアンスがあるように思えるんですね。

 

だから、

「夢中で生きる」よりも「夢中に生きる」という方が、

ニュアンスとしてはあってるんです。

 

そして僕はこの「夢中に生きる」という言葉から感じられる、

「夢中という場所の中で生きる」という感覚が、

もっと強く得られる言葉はないかな、と思って探したんです。

 

それが、

「夢中を生きる」

だったんです。

 

これはつまり、

「夢中という世界」を、

味わい、愛でて、育み、楽しみ、その中で生きる、

そういう感覚が得られる言葉だと思ったんです。

 

だから、

「夢中で生きる」でもなく「夢中に生きる」でもなく、

 

「夢中を生きる」

 

この感覚、伝わりにくいとは思うのですが、

でも、夢中を生きるという感覚があるからこそ、

プライベートでも仕事でも、

自由と没頭を味わい、愛でて、育み、楽しみ、その中で生きるという、

そんな世界観を描けるし、

無意識にでもそこに共感した方が集まってきてくださっているのではないかと、

そんなことを考えているんです。

 

今はまだ時期尚早だけど、

来年中くらいにはサービスの名前自体もやはり、

「夢中を生きるマスタークラス」というような名前に

変えていけたらいいな、と思っています。

 

ね?

 

夢中を生きる。

 

いいでしょ?

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

目次