ライブである、ということが大事なんじゃないかと思う昨今。
つまり、生であるということに価値がある、ということだ。
そう思って最近は、
自分のビジネスでもライブ配信を少しずつ増やしている。
対談なんかもライブ配信できる時はライブ配信にしている。
なんでライブがいいのかなって考えた時に、
やっぱり今の時代、なんでも加工しようと思えば加工できちゃうから、なのかもしれない。
AIですごくリアルな人間の写真みたいなものを作れちゃうし、
ディープフェイク、なんていうものもある。
どうにでも作れてしまう、というところがあるように思う。
もちろんライブでもそれはできてしまうのかもしれないけど、
でも、それでもホンモノに触れられる可能性や、
ホンモノである濃度が圧倒的に高くなるのは、
やはりライブの方なんだと思う。
音楽だってそうだ。
スタジオ収録はある意味なんだって作り込める。
これはスタジオ収録や作り込みを否定しているわけではない。
綿密に作り込まれた音楽は、それはそれでとても美しいと思う。
ただ、どちらが上とか下とかそういうことではなくて、
やはりライブにはライブの良さがある。
だから、音楽のライブにだって行く人がいるのだろう。
そうでなければCDや配信で事足りるはずなのだ。
生で見たい、生で触れたい。
こういうことを叶えるには、やはりライブしかない。
舞台なんかもそうだろう。
作り込みでいったら、圧倒的に映画の方が作り込める要素がある。
というか、
舞台なんていうのは、今の世の中の技術で実現できることで考えた場合に、
あまりにもわざわざ不自由な状態で演技をしているとも言えるだろう。
でもそれでも、
映画も舞台も同じように好きだという人もいれば、
映画よりも舞台の方が好きだという人だっている。
問題は、テクノロジーが優れているかどうかではないのだ。
それよりも、
「何を受け取りどのように感じるか」
ここに、それが生であること、ライブであることが、
かなり強く影響しているのだと僕は思う。
僕自身、音楽活動をしてきた経験がある。
ちょっとジャズっぽいことをしていたので、
レストランでの生演奏などをしていたこともある。
あんなのだって、音楽だけでいいのなら有線でBGMをかけておけばいい。
動いている演奏者が見たいなら、動画を流しておいたっていい。
だいたい、僕はプロの演奏家ではなかったので、
世の中のプロの音楽と比べたら、だいぶクオリティーが下がる。
それでも「生」演奏であることを求められ、
そういう活動をしていたのだ。
僕の音楽活動の最後期は、
即興表現集団だった。
歌や楽器だけでなく、踊りや朗読、身体表現や照明、VJなどのメンバーと一緒に、
全く練習をすることなく、
当日その場で即興的に表現をする、という集団。
この試みがうまくいっていたかどうかは別として、
その当時僕が考えていたことは、
「美しいものを作っている時が、一番美しいのではないか」
ということ。
だから、それを作っているところを見せる、という活動をしてみたかった。
それが、究極の生なんじゃないか、なんてことを考えていたのだ。
ただ当時、
それには相当高い演奏レベルと経験値が必要である、
ということには気づけていなかったのだが。
でも、あの活動での体験は、きっと今にも生きているのだと思う。
そんなこんなで、ライブであるということに、今とても価値を感じている。
だから、昨年あたりから仕事でもいろんなライブを行ってきた。
今年はそれがさらに加速していくと思う。
zoomでのライブもそうだし、各種SNSでのライブ配信も始めると思う。
それに、全国各地に赴いて、クライアントさんたちにもどんどん会おうと思う。
ライブは、ライフだ。
生は、生きるということだ。