【る】ルパンの話

僕がよく、自分の卓球歴について話をする時、

「僕は学生時代は中学校の3年間しかやっていません」

とよく言う。

 

これは事実だ。

 

事実なんだけど、

小学生の時は近所の児童館で卓球をしたりはしていた。

これは教わったりとかしていたわけではないので、

卓球というよりピンポンレベルだ。

 

まあ、それだってラケットを持ったことがない状態で中学の部活で卓球を始めた人と比べたら、

ラケットやボールに慣れているという意味ではちょっとしたアドバンテージだったと思う。

 

また、

僕はルパンのおかげで中学校の時の卓球の成績を買われて、

高校には卓球で推薦入学している。

 

そして、

高校1年の半年間だけ部活に参加して、

卓球をしていた。

 

だからより正確に言うならば、

・小学生の頃、児童館でピンポン

・中学校の部活(ルパン)で3年間ガッツリ

・高校の部活で半年間

これが僕の学生時代の卓球歴、ということになる。

 

それからはもうほんとしばらく卓球はしていなくて、

どちらかというとバンド活動、音楽活動を中心にしていた。

あとは、ひたすら酔っ払っていた。

 

30過ぎの頃、まだ厚木に住んでいたころに、

厚木のチームに少し出入りしていたことがある。

(この時はまだ片面ペンドラ)

 

今思えば、この頃もまあまあ練習してたのかな、と思うけど、

でも週末時々練習をするっていう感じだったし、

試合メインだったから、ちゃんと練習してたとも思えず、

僕的卓球歴には入っていない。

 

そして、まえに「横井さんの話」で書いた通り、

またしばらく卓球から離れていた時に、

新宿御苑前のZEOSで少し卓球をするようになり、

シェークにして両ハンド卓球にしないと危ないと思い、

やってみたらめちゃくちゃ難しく、

その難しさにハマり、

毎日のように卓球をするようになった、というのがだいたい6年前の話。

 

なので、

僕的卓球歴は、

中学3年間(ルパン)と大人になってガチ練をしている6年間の9年間だ。

 

いろいろ葛藤はあるけれど、

ありがたいことに今が一番強いことは間違いない。

 

それはやっぱり、

がちがちのがちで練習をしているからだ。

 

「中野さん、それ40代の練習内容じゃないです」

って言われることもよくある。

 

でも僕から言わせれば、

僕よりきつい練習をやってる50代の人だって実際いるので、

まだまだ弱く、しかも学生時代の積み上げが極端に少ない僕が、

強い人たちに追いつこうと思ったら、

やっぱりそれだけのことをやらないといけないと思うのだ。

 

ありがたいことに、

「中野さん、どこの大学の出身なんですか?」

なんて言ってもらえることも時々ある。

 

大学くらいまでちゃんとやってきた選手に見えるのかな、と思えて、

なんだか嬉しいのだ。

 

「実は、中学校3年間しかやってないんですよ」

「え?クラブチームですか?」

「いや、普通の公立校の部活です」

「えーーー」

 

なんていうやりとりも稀にある。

 

そうなのだ。

実は僕は10代の頃、特にクラブチームに所属したりしていたわけでもない。

 

本当に、ただただ自分の学区の中学校に行き、

そこで卓球部に入った、というだけのことなのだ。

 

ただ、非常にありがたかったのがルパンである。

 

はっきり言って、

自分の学区の学校にいって部活に入る場合は、

いわゆる「ガチャ」である。

 

自分がどこに住んでいるのかによって、

どの学校に行くのかが決まり、

どの学校に行くのかによって、

顧問の先生も決まってしまう。

 

中には「越境」と言って、

ある公立校に部活で強い生徒を集めるために、

他人の住所を借りてまで学区を変える、

なんていうことをやっている学校もあった。

(今もそれができるのかは不明)

 

でも、普通はあまりそういうことはしない。

単純にその学区の学校に行き、

そこで部活に入る。

そこではじめて顧問の先生を知る。

みたいな感じのはずだ。

 

僕もそうだった。

 

そして、

その顧問の先生が、きちんと卓球を教えられる先生だったのだ。

 

実はこれはなかなかレアなケースである。

 

卓球って、結構マニアックなスポーツだ。

特に、基礎技術や理論理屈について、きちんと知っている「学校の先生」なんていうのは、

そういるものではない。

 

だから、本当に偶然、僕は運が良かったのだ。

よーっしゃラッキー。

 

先生からしっかりと卓球の基礎を教わり、

今でもその基礎の上で僕は卓球をしている。

 

そして、ルパンに感謝している。

 

中学校の時は、

団体戦で関東選抜大会まで進むことができた。

 

それもこれも、

先生の指導のおかげだ。

 

そんな関東選抜への出場を決める一戦。

僕は団体戦で5番に回された。

 

中学校の時の団体戦というのは6人で編成する。

 

1番シングルス

2番シングルス

3番ダブルス

4番シングルス

5番シングルス

 

重複なしで編成するので6人なのだ。

 

通常、エースは1番に置かれる。

僕はその時エースだったのだが、

5番に回された。

 

それは、相手の3番手が5番に出てくることが、

かなり濃厚に予想できたからだ。

 

そして、相手のエースと2番手は、全国常連選手だったので、

僕でも勝つことはまず不可能、となった時に、

それでもチームを勝利に導くとしたら、

僕を5番に回すしかなかったのである。

 

蓋を開けてみると、

実際相手の3番手は5番。

なので、予想通りの試合となった。

 

2-2で回ってきた5番手。

試合はもつれにもつれ、1-1の3ゲーム目(当時は21点選手3ゲームマッチ)。

20-20のデュース。

そこからさらにシーそゲームとなり、

最後のカウントは忘れたが、辛くも勝利することができた。

 

これにより、僕たちは関東選抜大会への出場を決めた。

 

先生に報告しに行く。

「勝ちました!」

 

すると先生が驚くようなことを言った。

 

「苦戦しすぎなんだよ」

 

えーーーーーー。ひくわーーーーー。

 

今でも先生がなぜそんなことを言ったのかはわからないけど、

とにかく先生的にはそう思ったのだろう。

 

勝てば官軍と思っていたのだが、

勝ってもなお、だったのである。

 

この先生、

当時はなかなか乱暴なことをする先生だった。

椅子が飛んできたり、超高速でボールが飛んできたり。

 

でも、卓球部以外の生徒、特に女子にはめちゃくちゃ優しい、

優しいというか、いつもでれでれしている人だった。

 

「ルパン先生♪」

なんて声をかけられると、

デレデレとした顔をしていた。

 

そう、この先生、

見た目がルパン三世に似ているのである。

 

本当に、見事に似ているのである。

 

だから、陰で「ルパン」と呼ばれていたのである。

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