【こ】小次郎の話

小次郎、という友達がいる。

本名ではない。

だけど、周りからは小次郎とかこじとか呼ばれていて、僕もそのどちらかで呼んでいる。

 

小次郎は僕のことを「魂の友だち」と呼んでくれていたし、僕もそう思っていたのだけど、

本当のところ、いまいち彼がそんなふうに思ってくれているのかという、その実感はあまりない。

でも、言われた時はなんだかそういう気にさせられてしまう、そういう雰囲気と声の持ち主だ。

 

さて、小次郎とは何者なのか。

語れば長くなる。

 

2003年のこと。

僕は島村楽器という全国チェーンの楽器店主催のHOT LINE 2003というバンドコンテストに出場した。

 

あの時は、まずテープ審査があった。

文字通り、カセットテープで提出したと思う。

島村楽器の横浜ビブレ店の店員さんだった、立川さんという人に。

 

正直、そんなものに出る気は全くなかった。

だけど、よく通っていたその島村楽器横浜ビブレ店で、

そこそこ仲良しだった立川さんに、

「出てみない?」

と強く推されたのだ。

 

今思えば、あれは営業ノルマだ。

エントリー料だっていくらか取られた。

きっと、お店的にたくさんテープを集めなくてはいけなかったのだと思う。

 

当時僕が組んでいたのは、女性ボーカルと僕のギターの二人組ユニットで、

そもそもバンドコンテストなんて出るようなガラじゃなかった。

当時メインで活動していたのはレストランだったし。

 

だから、

「まあ、おつきあいでテープを出すくらいなら」

という程度の考えでエントリー料と共に提出。

 

そしたら、どういう巡り合わせか、神奈川ファイナルにノミネートされた。

僕は、最初その話は断ろうと思っていた。

なぜなら、その日はもうすでにカフェで演奏することが決まっていたから。

 

だけど、ボーカルがその話をほぼ勝手に断って、

神奈川ファイナルに出場することになってしまった。

会場は横浜アリーナサウンドホール。まあまあ大きな会場。

 

そして、

周りはロックバンドばかりの中、

アコースティックなジャズっぽい演奏をして、

なぜかそのまま優勝してしまい、

全国ファイナルにも出場することになってしまった。

 

ちなみに、僕の奥さんはその時に神奈川ファイナルと全国ファイナルを見にきてくれていた。

巡り巡って今僕の奥さんになってくれているんだから、不思議なものです。

 

そして全国ファイナル当日。

会場は恵比寿のガーデンホール。

ガーデンプレイスにある大きな会場で。

まさかそんなところで演奏するなんて思ってなかったのでびっくりした。

 

そこで出会ったのが小次郎。

 

小次郎は埼玉代表の「小次郎」というバンドのボーカル。

 

小次郎のボーカルの小次郎。

こりゃ記憶に残らないわけがない。

 

その時の小次郎の歌声と言ったら。

美しいとしか言いようのない歌声で。

そしてバンド自体も聴いたことのないような世界観で演奏を繰り広げる。

僕は一気にファンになってしまった。

 

そして、どういうわけか小次郎も僕たちのファンになってくれた。

 

あの時は全国から11バンドが選抜されての全国ファイナルだったのだけど、

お互いに一番のお気に入りになった(と、思う。僕だけだったかな。)

 

それから小次郎とは仲良くなり、

一緒にバンド活動をしたり、遊びに行ったりという仲になった。

(ここまで書いて思ったけど、これは【こ】の話じゃなくて「【は】バンドの話」とか「【ほ】HOT LINE 2003の話」とかの方が良かったかもしれない。けど、ここまで書いちゃったから続ける)

 

色々あって失業していた頃、小次郎が自分の会社に誘ってくれた。

そう、彼は社長になっていた。

 

これは渡りに船。会社でもギターが弾ける。

 

僕は喜んでその会社に入った。

 

だけど、蓋を開けてみるとその会社は常時赤字で常に火の車状態。

 

そんな会社にずっと出資をし続けてくれるありがたいおじさまがいて、それでなんとか成り立っている状態だった。

 

だから、なんとかしてその会社を黒字に転換したいと思い、色々画策して頑張った。

けど、黒字になった月なんて数えるほどしかなかった。

 

そんな中、小次郎はいつものほほんとしていた。

のほほんとしているどころか、会社を無断欠勤することもよくあった。

 

社長が、無断欠勤。

 

そんなことあるのだろうか。

 

元々、かなり遅刻癖があるタイプだったけど、自分が社長をしている会社を無断欠勤するなんて話は聞いたことがない。

でも、小次郎はそういう奴だった。

 

1週間くらい会社に来ないこともあった。無断で。

一切連絡がつかない。

でももう、僕も出資してくれていたおじさんも「小次郎だからな」で済ませてしまっていた。

 

小次郎のすごいところは、

そんな時にも1週間後に普通の顔をして「おはよう」とか言って会社に来るところだ。

 

悪びれもしなければ謝りもしない。

まるで「昨日ぶりだねー」みたいな冗談でも言うかのように、

1週間ぶりに会社に来て「おはよう」って言えるのだ。

大した度胸だと思う。

 

そして、なぜかそれを誰も責める気にならない。

いや、周りは知らないけど、少なくとも僕は全然責める気になれなかった。

「まあ、小次郎だからな」

という感じで。

 

その後その会社がどうなったのか、という話は割といろんなところでしているけれど、

小次郎が、そのおじさんからの出資を断り、

「ここからは自分たちでやる」と言ったものの、

仕事っぷりに関しては大して変わることもなく、

止まらない赤字を補填する資源もなく、

「ごめん、今月の給料がでない」

の一言で終わった。

 

ゲームオーバー。

 

そんな会社なので、社会保障的なものは何もなかったし、

失業保険も何もなかった。

 

いや、求めれば何か手はあったのかもしれないけど、

赤字を垂れ流し続けたのは僕にも原因があるし、

何にしろ、無いそでは振れないということはわかっていた。

 

僕はよく、

「別に起業したくて起業したのではなくて、失業して生きていかざるを得なかったし、雇われることも諦めたから起業せざるを得なかっただけ」

という話をしているけど、その失業のリアルな話がこれでした。

 

そんな倒産失業沙汰で、小次郎との仲はどうなったのか、といろんな人に聞かれたけど、

正直何も変わってない。

 

いきなり会社に来なくなったり、

仕事してるのかと思ったらウイニングイレブンやってたり、

まあ、仕事の面では微妙なやつだけど、

彼に騙されたとか、お金のことで汚いことをされたとか、

そういったことは一切ない。

 

なんというか、

僕の信頼を損ねるようなことはなかった、ということなんだと思う。

 

それに、会社は潰れたし、

そこに至るまでも、今思えば当然会社が潰れるような行動の積み重ねばかりだったけど、

それでも、不器用な小次郎なりに、一生懸命やっていたのだと思うし、

僕も不器用なりに一生懸命やってきた。

 

だから、僕は今でも友だちのつもりでいる。

 

つもりでいる、というのはどういうことなのかというと、

今日時点で、また連絡がつかないから。

一度連絡がつかなくなると、何ヶ月もつかない。

 

なんか、連絡がつくようになったり、全く連絡がつかなくなったり、

変なやつなんです。

 

でも、しゃべっていると、

なんだかとても天才なような感じがするんです。

それに、一緒にいると面白い。

 

そのうちまた、ひょっこり連絡してくるんだと思います。

 

ああ、案の定長くなった。

これでも、一応色々はしょったのだけど。

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