【す】は、最初「すいませんの話」にしようと思ってました。
卓球ほど、競技中に相手に謝るスポーツも珍しいよね、って。
でも、この間「さーの話」をしたし、もうすぐ【た】も近づいてきてるから、いいかなって。
さて、【す】はスーパーの話です。
僕が子どもの頃、つまり厚木に住んでいた頃に、母と一緒によく行ったスーパーがあります。
それは「あづまストアー」
その頃僕は、厚木のボロアパートに住んでいました。
二階建てだけど、金属製の階段が朽ちていて、ところどころ穴が空いていたり、当然のように和式トイレだったり。
何て呼ぶのか知らないけど、マンホールの四角いやつのようなものは蓋が簡単に外れちゃって、隣に住んでいた子が落ちたり。
家賃がいくらだったか知らないけど、多分かなり激安のボロアパート。
吾妻荘、というアパートでした。
僕が物心ついたのはそのアパートで、僕がはじめて自宅の電話番号を覚えたのもその家でした。
なんというか、訳ありな人も多かったような気がします。
実際、夜逃げとかあったし。
隣に住んでいた同棲中のカップルのお兄さんに遊んでもらったり、
近所のお兄さんに教わって地蜘蛛を戦わせたりしていました。
目の前には畑や田んぼがあって、母と一緒にセリを摘んだり、イナゴを捕まえて佃煮にして食べたりしていました。
今となってはイナゴを食べるのはちょっと辛いな。
さて、そんな母親との思い出。
よく、近くの団地まで自転車で一緒に行ってお買い物をしました。
真平田橋(しんぺいたばし)という橋を渡るとあるのがその団地が吾妻団地で、そこにあったスーパーがあづまストアー。
もうずっと前のことだからよく覚えていないけど、スーパーの中に売り場がたくさんあって、
それぞれレジが別になってたような気がします。
だから、お肉屋さんはお肉屋さんでお会計、八百屋さんは八百屋さんでお会計。
駄菓子屋さんは駄菓子屋さんでお会計。
なんとなーく、薄暗い感じの店内で、八百屋さんのコーナーは裸電球がぶら下がってました。
僕は母と一緒にお買い物に行って、お肉屋さんでアメリカンドッグを買ってもらうのが好きでした。
あの、一番下のところのカリカリのところをなんとかして全部食べたくて前歯でカリカリしたり。
あと、パンの耳をビニール袋に入れて激安で売っていて、母はそれに砂糖をつけて油であげたものをよく作ってくれました。
これがなかなか美味しい。
当時はビックリマンチョコの全盛期でした。
でも、僕はシールには全然興味がなくて。
だからビックリマンチョコを買うと、シールは友だちにあげて、代わりにチョコをもらっていました。
シールなんて自分で集めなくても、アルバムに入れて集めている友だちがいたので、
それを眺めさせてもらえれば充分。
それよりも、当時30円だったビックリマンチョコが美味しくて美味しくて。
一時期少ないお小遣いをみんなビックリマンチョコに使ってたような気がします。
確かあの頃は消費税3%が導入されたばかりの頃で、
30円のビックリマンチョコを二つレジに持っていくと、61円と言われたので、一旦お会計をやめて、
売り場に一つ戻して一個だけ30円で購入。
もう一度売り場に戻ってもう一つ持ってもう一度お会計して、また30円で購入。
これで1円浮くということを発見し、レジのおばあちゃんに褒められました。
あづまストアーの前には、それなりに大きな公園があり、砂場があり、ブランコがあり、トンネルと滑り台がついたコンクリ製のお山があり。
よくそこに集まって遊んでいました。
その滑り台は左右に二列に並んでいて、つまり真ん中は出っ張ってるのですが、
その出っ張りに座ってそのまま滑り降りる、という度胸試しがはやってました。
僕はそれがどうしても怖くて、後ろ向きにお尻から滑ることしかできませんでした。
数年前に懐かしくなって、そのあづまストアーを見るためだけに厚木に行きました。
すると、もうだいぶ前に閉店してしまったそうで。でも、建物はそのまま残ってました。
公園もそのまま残っていましたが、小山のトンネルだけはコンクリで塞がれていました。
もしかしたら、夜そこで寝ちゃう人とかがいたのかもしれません。
今吾妻団地には外国の方がたくさん住んでいるらしく、スーパーの前の公園も外国の子が多かったですね。
なんというか、非常に哀愁が溢れる景色になっていました。
だけど、当時そこにあった木がそのままそこにあったり、そういえば鉄棒もあったり、スーパーの前にこんな素敵な公園を作ってくれていたことに、嬉しい気持ちになりました。
ついでに僕が物心ついた吾妻荘を見に行くと、それもなくなってしまっていて、小綺麗なマンションがそこにはありました。
お隣のお兄さんとキャッチボールをして、僕が投げた玉が隣の建物の会社の営業車のミラーに当たっちゃって、お兄さんが代わりに謝ってくれた駐車場や、
おもちゃの車に裸足で乗ってたら、足の親指の爪が削れてしまって危うく皮膚がむき出しになりそうになった玄関前のコンクリの通路や、
手持ちの花火を金属の手すりに直撃するように噴射させて変色するのを面白がっていたら怒られた階段や、
隣は女の子二人、上は女の子一人だったから、いつもおままごとをしていた階段下の自転車置き場や、
そういったものは、もう跡形もなく消え去ってしまっていました。
だけど建物って、更地になると、そこに何があったか思い出せなくなってしまう、なんてことはよくあると思いますが、
自分が物心ついた家については、こうして割と覚えているもんなんだな。
ああ、そう言えば、犬にも追いかけられた。
井上って子のとこで飼ってた犬。
井上め。