【え】NECの話

2回目の「え」が来て、どうしようかなー、なんて悩んでいたわけですが。

不意に頭の中に「PC98」というフレーズが降ってきました。

 

PC98じゃ「ぴ」じゃん。

「ぴ」というかそれは「ひ」じゃん。

と思ったのですが、

「ひ」の時に「ぴ」を書くのも微妙かなー、なんて思いまして。

 

そしたら「あ、PC98ってNECじゃん」と。

 

あ、なるほどね、「え」のネタなのね。と。

 

僕のハイヤーセルフみたいのが教えてくれたみたいです。

 

僕とPC98っていうのは妙に深い仲で。

 

多分生まれて初めてPC98を触ったのは、

厚木市立こども科学館だったと思います。

 

今でこそ、ちょっと閑散とした感じになっちゃってるみたいなのですが、

僕が小学生の頃の厚木市立こども科学館といったら、

もうワクワクするようなものがいっぱいあって。

 

パラボラアンテナで会話ができるような装置とか、

月の上での体重を測れる体重計とか、

遠心力とブラックホールの関係を視覚化した装置とか、

あと、これは今でも残ってるけど、かなり立派なプラネタリウムとか。

 

いろんなものがあって、結構毎日のように通った記憶があります。

 

その中に

PC98が3台並んでいるコーナーがあって、

まあ、ゲームしかできないんですけど、

ネズミがネズミ取りに引っかからないようにうまく逃してあげるゲームとか、

そんなのがありました。

 

多分テンキーとスペースキーくらいしか使ってなかったんですけど、

それでも、なんだかキーボードをかちゃかちゃしている感じが楽しかったんですよね。

 

だから、小学校低学年ぐらいの時からパソコンはほしかったんです。

 

小学校4年生の時、ある先生が担任になりました。

その先生は4、5、6とずっと担任だったのですが、

その先生がめちゃくちゃパソコン好きな人だったんですよね。

 

それで「これからは学校でもパソコンを置く時代になるはずだから」と言って、

教室に自分のパソコンを持ってきて、

それを子ども達に解放してたんです。

 

珍しい先生ですよね。

でも、確かにその数年後くらいから、

PC室みたいのを設置する学校が増えていったので、

その先生は先見の明があった、ということになると思います。

 

晴れて、僕は小学校でパソコンを触れるようになりました。

 

確か、PC98VMとかだったと思います。

 

これでシムシティーをやったり、N88BASICでプログラムを組んだりして遊んでいました。

 

そもそも、小学校の教室の中で、パソコンに興味を持って触る子どもなんて、

そんなに人数がいるわけではなかったんです。

僕を含めて4人とかだったと思います。

 

だから、放課後はわりかしいつでもパソコンを好きなように触れるっていう時期があって。

 

あまりにも遅くまでパソコンをいじってて、

他のクラスの先生に「早く帰りなさい」なんて怒られたこともありました。

 

そんなこんなで、家にもパソコンがほしいな、と思っていたのですが、

当時うちはそれなりに貧しかったので、

パソコンなんて買う余裕はなかったわけです。

 

僕が小中学生の頃のPC98って、高かったですからね。

起動するのに5分とかかかるくせに(笑)

 

でも、中学校1年くらいのころ、そんな僕の手元にもパソコンが届くことになります。

 

父がやっていた喫茶店があって、オーナーは別でいたのですが、

そのオーナーの会社のところでいらなくなったパソコンがでたってことで、

「ほしい?」

なんて聞かれたんですよ。

 

そりゃほしいです。

 

確か、PC98RMとかだったと思います。

 

当時にしては珍しく、3.5インチフロッピーのドライブが一つしかないタイプ。

もう一つのドライブはRAMになってるタイプだったんですよね。

 

これが自宅に届くことになりまして。

 

僕はもう大喜びですよ。

 

当時部活では卓球を朝から晩までやりまくっていたのですが、

家に帰ってきたら今度はずっとパソコンです。

 

しかも当時の僕、超分厚いレンズの眼鏡。

 

瓶底メガネに卓球にパソコン。

 

なんかもう、キャラクター決まってますよね(笑)

 

でも、大好きなパソコンがそうやって目の前にあるのが、

僕はとても嬉しかったんです。

 

出来もしない麻雀ゲームをやったり、

UNOでコンピューターと対戦したり、

当時最新だったMS-DOS3.3dを謎にいじくったり。

 

フロッピードライブが一つしかなかったから、

ディスクを2枚差し込む必要があるソフトが動かせなくて泣いたり。

 

あと、三国志にずっとハマったりもしていました。

三国志の武将の名前だけを謎に覚えているのは、

その時のゲームの影響です。

 

そんなこんなで、

小中と僕は、ずっとPC98をいじくりながら過ごしてきました。

 

今パソコンに対する苦手意識が全くないのは、

その当時PC98をいじくりまくってた、ある意味デジタルネイティブの走りみたいなやつだったからなのかもしれません。

 

だから、PC98を生み出してくれたNECには大感謝だし、

こうしてまがりなりにも「え」のネタでNECのPC98について書くことができて、

久しぶりにあの頃のことを思い出して結構楽しみながら書いている僕がいます。

 

いや、ほんと最初に僕の目の前に現れてくれたパソコンがPC98で本当によかったです。

 

そもそも「パソコンが家に欲しい」と思ったきっかけは、

厚木市立こども科学館と同じ建物にある図書館で出会った、

パソコンの本だったんです。

 

その本に書かれていたパソコンは「MSX」という、

ゲーム専用パソコンみたいなやつで。

 

僕が最初に欲しいと思ったパソコンはそれだったんですよね。

でもそれだとゲームしかできず、いわゆるパソコンとしての使い道はほとんどなかったので、

PC98を触っていて良かったと思います。

 

ん?

 

MSX???

 

 

「え」じゃん。。。

 

MSXの話を書けば良かったじゃん。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

目次