沖縄が好きだ。
年に数回は行きたいと思うし、なんなら沖縄に別宅がほしい。
クライアントさんの中に、神奈川県と石垣島の二拠点生活をしている方がいるが、
もう本当に羨ましいと思う。
はじめて沖縄に行ったのは、僕がまだヒモだった頃だ。
その時の彼女(今の奥さん)が、交通費、ホテル代、飲食、全部出してくれた。
確かその時は4泊5日で、かなりいいホテルに泊めさせてもらった。
当時の僕は、それが良いホテルなのかどうか、知識がないからわからず、
とにかく「沖縄ってめっちゃいいな」と思ってありがたく旅行を満喫させてもらった。
今思えばすごい話だと思う。
そんなことがあってから沖縄が好きになり、
「行くなら梅雨明け直後だ」
「那覇市内じゃなくてもっと海が綺麗なところに行こう」
「観光なんてしない。海を眺めてるのが一番だ」
なんて生意気なことを言っている。
が、実際は僕の沖縄についての知識知見なんてものは、
かなり偏ったものだ。
そんな偏った僕の沖縄話の中から、一つこんな話を。
ヒモ時代が終わって、ある程度ビジネスが軌道に乗ってきた頃、
僕はよく「一人合宿」というものをしていた。
これは全国の安宿に一人で泊まって、
集中して仕事をするという、
あえて自分を孤独な状態に追い込む修行のようなものだ。
たくさん本を読んだり、制作に集中したり、
なんていうことをしていた。
いや、実際はいつもいつも家で仕事をしていたので、
たまには環境を変えたかったっていうのがメインだったと思う。
そして、一人なのでとにかく安宿でよかった。
だからいつもAirBnBで宿泊先を探していた。
そんな一人合宿で沖縄に行ったことが何度かある。
初めて沖縄に一人合宿をしに行った時のこと。
僕はある村にAirBnBを予約した。
それは、那覇空港から車でほどなく行ったところの「市」と、
よく似た名前の「村」だった。
なので僕は良く確認もせず、そこで宿を予約したのだ。
その日は確か、夕方ごろに那覇空港に着いたと思う。
そして、レンタカーを借りて、宿に向かって一直線。
途中、そのよく似た「市」に到着し、
「うん、まあそろそろかな」
なんてことを思いながらさらに車を走らせる。
しばらくして僕が通り過ぎたその「市」の名前は、
「宜野湾市」
ここによく似た名前の僕が向かっていた村の名前を、
あなたはご存知だろうか。
その村の名前は「宜野座村」
名前が似ているから、当然近いと僕は完全に思い込んでいたのだ。
今調べてみると、
那覇空港から宜野湾市役所までが約20キロ。
そして、
同じ那覇空港から宜野座村役場までの距離。
なんと、
約60キロ。
全く近くないのだ。
途中、ずいぶん遠いな、と思った頃にはもう、ほとんど日は暮れていた。
それでも、宿をとってしまっているのだから車を走らせるしかない。
そして通り過ぎる金武町。
町だ。
その次が宜野座村。
村だ。
本当に、村だった。
何もなかった。
暗い道、周囲は街灯がちらほらあるかないか。
家も少ない。
しかも僕が向かっていた宿は、
実は廃ペンションを再利用したAirBnBだった。
つまり、
さらにちょっと人里離れた感じなのだ。
真っ暗な一本道を、一人車で走っていく。
正直、めちゃくちゃ怖かった。
この道で本当に合っているのか。
本当に宿はそこにあるのか。
不安が胸をよぎる中、暗い夜道をひた走るレンタカー。
やがて車は建物の前に到着した。
が。。。
僕が泊まるのは、建物の3階。
暗い建物。
エレベーターはなく、階段を照らす灯もない。
本がたくさん入った重いトランクを持って、階段を登る。
途中2階を通る。
2階にも部屋があるのだが、その扉は蔦にまみれている。
この扉を開けるのには、相当骨が折れるであろうことは容易に想像がつく。
あそこまで蔦にまみれた扉を僕はほとんど見たことがない。
そんな2階が蔦にまみれている建物の3階に僕は宿泊するというのだ。
恐ろしさしかなかった。
でも、ほかに泊まるあてもない。
3階に上がり、キーボックスを開けて、鍵を開けて中に入る。
電気をつける。
部屋の中は、特に恐ろしいということは何もなかった。
ただ、一人で過ごすには寂しいな、と思うほどの広さがあり、
和室と、ダイニングと、キッチンと、ベットルームがあった。
携帯の電波は入らず、
持ってきたWi-Fiもほとんど電波が入らない。
AirBnBというのは、よくポケットWi-Fiが備え付けられていたもので、
ごたぶんに洩れずその宜野座の宿にもポケットWi-Fiが備え付けられていたのだが、
それすら電波がほとんど入らない。
備え付けられているテレビは映らなくはないのだが、
これも映ったり映らなかったりと電波状況がかなり怪しい。
とんでもないところに来てしまった。
ということで、
「お」だから「沖縄」の話なのだが、
もうすぐ「き」が来るのでそこで「宜野座」の話の続きをしようと思う。